White Rainbow

ある日、霧の中で幻のクマと1匹の野良猫が出会った。

固定記事(ご挨拶記事のようなもの)

度々、修正を加えたり見た目的な問題から更新することがある、このブログにおける道案内のような位置づけの「固定記事」を利用させていただき、ご案内またはごあいさつと考えております。

今後も、壁画感覚で綴る当ブログの開拓や雰囲気の改革に、様々な事柄をアカウントという小舟で眺めながら、絶賛航海を続けていく日誌スタイルが最も近いジャンルかと思います。

コメントに関しては、風潮と体験(滅多にもらうことがない)から判断して、できない設定にしております。本当なら、お問い合わせ先のようなものは必要だと思っているのですが、模索中です。ご用意するのが先か、劇中劇「顔文字キャラクター達の小芝居」が幕を下ろすのが先か。

未知との遭遇をし続ける者として、記しています。

 

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連続魔ラリホー

ฅ•ω•ฅ色即是空ラリホーの誘い。

 

最近はストレスからの不眠や倦怠感がおさまっていて、猫と穏やかに眠って安らぎの朝を迎えています。本当に、癒されるというのは和みや平穏が織り成すもので、睡眠がわかりやすいです。夢を見て感動や悲しみなどを得ることもあれば、眠れる安堵に喜びを得られることもあります。それは、子供の時からです。

SNSで投げ合うボーリングの玉が、まるで大砲ではみんな疲れ果ててしまいますよね。心の大運動会はそんな攻撃の仕方なのかなと思っています。個人で仕返し精神を主とした私刑とされるものをするために密かに用意された大砲は、メイドイン深淵でいいのでしょうか。

 

この記事は「言葉の意味を知らずに喋る意味」です。50%の悲しみの創作が含まれています。想像することで知る心を大切にお持ち下さい。勢いで長くなっちゃいました。

 

終わらない曲とは…?

FF11には、いまを表すような風潮がたくさん眠っていました。それは、私の記憶として書くことがあります。大切な当時の欠片です。それがないけれど、自分なりに疑問や他のもので欠片となるものを持っている人と合わせることも可能なのかもと思って書くんです。経験談というのは、自分がしたわけではないものというのは大前提なのに、人の噂や伝えていく心理作用には「尾ひれ」がついたり改ざんされてしまい、肝心なことが抜け落ちていくものです。そこに埋め込まれていくのは「何もない」ものです

 

◆「尾ひれがつく」の意味

事実以上に種々のことが付け加わる。複雑になる。

 

引用元

尾鰭が付く(オヒレガツク)とは - コトバンク

 

◆「根も葉もない」について

「根」は、根拠のこと。
植物の元となる「根(根拠)」もなければ、その結果生える「葉」もないの意味から。
また、根も葉もなければ植物が育つはずないことからや、「根拠」を「根」で表したため語呂合わせで「葉」が加わったともいわれる。
「根もない」ともいう。

 

引用元

根も葉もない - 故事ことわざ辞典

 

似てるなと思うもの、関連しそうなものを引用しました。「根も葉もない」には、意味ではなく語源や由来になる注釈を引用してきました。意味を思い浮かべるには、植物に置き換えるとどんなものが想像できますかという問になります。

最近、そういえばと思ったものがあって、子供の頃にスっと一本だけ立っている「ふしぎなもの」を空き地にいっぱい見たことがあって、枝がなくて当然葉もないものです。けど幹にあたるようなものはしっかりしていて、子供の力では抜けそうになく、かといって大人に正体を聞くこともありませんでした。もしかしたら、あれは根がなかったのかな…と思ったら、その怖さが震えるほどです。

今では空き地も減り、見かけなくなっているので子供の頃というのは、ふしぎなトンネルをみんなで歩いていたのかなと思ってしまいます。そのトンネルを抜けたら、いまの街でしたっていう(笑)

千と千尋の神隠しは、ふたつとも自身の名前であり、"千"は湯婆婆に「フンっ!立派な名前だね!」と本名を削られて、お前にはそれで十分だと言われます。この段階で、千尋が現実世界で姿を消したことになります。私は、なぜ「ジブリがいっぱいコレクション 千尋神隠し」ではないのか暇だったので考えました。タイトルに疑問を持つ映画でした。真っ先に出た答えは「千」が千尋に戻ることによって、今度はあちらの世界で神隠しのようになると思いました。実は、千のお世話をしてくれているお姉さん系のキャラも、ハクのように神様だったという設定があるようです。もし、彼女も神隠しされたのだとしても、長くいるのならその時に戻れなくなり、あれが生前の姿なのかと思ってしまいます。

キャラクターの立ち位置は、魔女宅の絵描きのお姉さんに似ていますね。こちらではキキと同じ声優さんが彼女を演じており、それはどうしてもどちらも「高山さん」でなければということで、同じにしてあるそうです。もののけ姫では、冒頭のアシタカに小刀を渡すシーンで知られる娘と、サンも同じ方が声を演じています。

ここに、千と千尋を重ねることも可能なのが私のおツムで、そういう妄想の類をお話風に書くことが、本来のブログを趣味としている理由でした。

 

ジブリーにゃ๛ก(・ω・ก)

終わらない曲の答えを書く前に、ジブリの魔法も発動します。以前、過去記事で千と千尋中二病とありのままの神隠しとしました。

アンダーグラウンド的であると解釈をしていました。千と千尋のタイトルをインディ・ジョーンズすると、もののけ姫と魔女宅のふたりのキャラクターという設定にある共通点を秘宝として持ってくることになりました。

クリスタルスカルじゃないですよ。物騒ー…。そんな発想は、ホントに物騒ー…。

 

答えを書いたら、「同一人物」説がこれらにあるっていう式をぶっ飛ばした解答です。それまでにも似たような構図はあり、声を答えとしていましたが、千と千尋というタイトルでは「神隠し」って何?ということをお話で表していますので、英訳にある見失いました系の単語はやっぱり日本語にはないものを感じられます。アメリカには諱→本当の名前という解釈があり、読み方はポリンキー先生の教えから書きませんが、私の中のアメリカ人の代名詞に「ブライアン」をなんとなく使用するのと似てるんだなと思います。理由は特になく、この名前のキャラクターとして浮かぶのはひとりで、ゲームの鉄拳です。日本の著名人「太郎さん」みたいな。私はその名残も含めて、はなこを選んだ。でも、9割は猫らしさの成分。…見方によっては、ダースベイダー式ネーミングセンス。

 

(๑・㉨・๑)使ってたけど好きっていうか強い人のイメージにしてる。

ʕ•ᴥ•ʔチャーンが一番です。

ʚ( °(エ)° )ɞ打倒ポールでがんばる、私のチーム戦。奴は看板で殴ってくるのだ。すごく嫌で、突き飛ばす技を多用してとにかく吹っ飛ばす。

 

千と千尋の神隠しとは、千尋が冒頭のシーンでうなだれていて、まるでサツキちゃんがいなくてひとりでトトロした場合のだらけたメイちゃんのように、生返事や転校を受け入れたくない、あの年頃にありそうなリアルなふてくされが描かれています。しかし、湯婆婆に鍛え上げられたことで、千は千尋ではなくあの世界での生き方を学び、ハクを思い出すことに繋がりました。ハクとのお別れのシーンでは、私たちは「またどこかで会えるよね?」という不安と人生における涙を垣間見るでしょう。しかし、語られるのはジブリ風にある離れる手のみの描き方。これは、宮崎さんの中にある答えの演出で、また会えると宮崎さんが思って描くのならもののけ姫的な演出にされるのです。もののけ姫は、サンとアシタカはその後も交流を持っている設定だと語られています。だから、爽やかなラストです。千と千尋のあのシーンに、「…えっ!」と思うのは心に刺さるものがあるからです。私も、当時高校生で映画館で友人と観ましたが、あのシーンに不安や恐怖を持ってしまいました。それが「おにぎりのシーンに泣く理由」で、誰かの優しさは幻となって消えていく、その時の涙を知っている者なのでしょう。

 

Qの意志

こういった解釈ができることを羨ましい!!オシエロ!と襲いかかってくるよりも、ブログやネットは本来の「経験談や私的な人生観など」を表す場として、イメージは噴水広場でした。私には、ブドウのようにそれらをもぎ取っていく方々や水をずーっと掬い続ける者を感じており、「それが酷けりゃ噴水枯れますけどもー。」と言いたいロメーヴの入口をうろつく者です。FF11のエリアですが、水があります。神秘的なエリアで、夜が好きでした。

 

千尋に戻るということ、千であったことは髪飾りが揺れることに隠される。ハクは、その後出てこないけれど、私はぼんやり、中学生くらいに成長した千尋が、雫ちゃんのように学校に行く時、橋の上を通る夢のようなものを見れたことがあります。鞄には、あの髪飾りがつけられており、ハクはその下を流れる川の神様のように、「見守ってるよ。」と語りかけるのです。千尋は、その声に振り返るようなそんな短すぎる未来。どぉ?(;ω;)

私は、そこに泣くのは「思い出した時にもう会えない!」と泣いた理由を重ねるのです。私は、私的な理由で涙がある。

私には、ハクはもう会えない時の流れに生きたような存在に思えます。千尋は、バイトや働くということに千を思い起こすかもしれません。けれど、ハクとは再会はできないということです。あのシーンに、ズシンとくるものがある人だけがいまを生きていく意味を知るのだと思います。

そういうことを本当に感じるということがないのは、そこに単に「共感はない」ということになります。それだけです。すごいとか、だから何だよとか。そういうのいらないし、「何にもない」ものなんです。

 

心は、そんなに教育で育ちにくいものなのかと考えていく、本当の教育の5W1H

感受性って、悪夢を見やすいデメリットもあるし、人の言葉がいいものと同じくらい悪いものも感情と共に入り込んでくるようなものです。そんなの、いらない!でいいんですよ。

 

じゃあ、その代償は?

 

それが、そういうのわかんないってこと。

別のことができるとされるから、世の中まわってて、いろんな人がいるから、いろんなものが生まれて、手に取れるとかたくさんの人々に知られていく世界にいますよね。

私のこのブログにあるものとかは、そうじゃなくていいと思ってる。本当に「こころ」だからわかんないって評価がボーリングの玉越えて鉄球。殺す気なんだと思える。しかも、無自覚。何をやってるのかもわかんないまんま、それを伝える手段だけが握られているようなもの。武器だよ、それじゃ。言葉を弾にして日々撃ってんだよ。

 

私は、何のために生きた?

 

毎日、泣くような環境にいてもさらに罵られる、殴られるような状況で、泣きながら笑うことを忘れなかった理由を自分の中にだけ秘めて、せっかくサポートしてくれた「未知」にさえ意味を見つけられず、死んでいく。

千と千尋の歌は、まるでこの気持ちを歌ってくれているみたいだね。※FF11の有名な替え歌のことではない。

 

罵るのと同じ唇でそっと歌ったら、嘲笑?

海の彼方にはもう探さないんだよ。

見つけられたから。

 

それが、映画公開時に高校生だった人間として、最大限を最低限表したもの。誰が読むかもわからなくて、どう扱われるかもわからない状況で、そこをよっこらセットdeソーラン節‪wして、うまいこと嘲笑われながらも華麗なる大義賊して笑ってるヤツらを「すごいでしゅね!」なんて褒めたたえて、なぜかその噴水広場の水を水質的にも管理する者には「その水、華麗なるダレダレさんのものですよね!?最低ですね!スクショしたのでパクリ水ってロードランナー(←New!)の「アカウント名」に乗って拡散します!」とか(´^ω^`)ワロクソ。もう鳥通過してダチョウみたい。有名なアニメのキャラはダチョウじゃなかったですけど見た目的には似てました。好きなアニメで、あんな人いいなと思ったし鳥のキャラとしてもイャンクックに並んで好きです。

 

「これってなくなくなくな~い?」ってワポルに言われたらいいのに。この流れ、ありえないからとかないないって言えないんですよもう。簡易(ヒルズ)階に生きてる人って、当たり前だけど(???)嫌われるのを本当に嫌がる性質があるようでした。そういう人々の考え方の象徴なので、スカイツリー界でもいいんですけど。私の人生にいたのは、嫌われるようなことをするけど逆接的に起承転結を結から行きますので、振り出しに戻って何度も同じ流れをリツイートの記号のごとくおやりになります。「魔」なので人としては見ない方がいいのですが、見下すのではなく逆らったら…負ける存在と考えるようになりました。作品や表現について、日々使う言葉にも生まれそうな存在がいませんか。

言霊を心の中に大切にしましょう

私は軽めに顔文字が趣味の域にいるキャラクターです。

いまは、創造の異界(!)から人の姿をした強い存在で、鉄や氷のような冷たく重たい鉄騎兵のような見え方。遺跡の石像みたい。木彫りの存在もいますが、そういったものは既に呪いそのものに見えています。

呪いというのは、「こういう人だよ」と周囲に見せてくれる効果もあるそうで嫌われていきます。怨念の世界では、人の数だけ効果や種類もありすぎる闇の味でしょう。中には、過去にやられたことを新たに被害を出すことによって怒りを持たせることもあるのだと思います。それは、自分が苦しみや悲しみから怒りを憎悪と言いたいほどに持つことがあったら、魂となって、今ある判断能力もタタリ神のようになくなって、アシタカにやるようなものを…今回は、そういうことが書きたいだけ。

映画の冒頭のように、アシタカに生きる気力もなくしてほしいなら、あの作品の流れは掴めないからそうじゃないよねと、ナウシカになることを目標とする。ふつうは。

サンは「私の印象や書き方」に重ねればいいのかなと思います。この書き方では、怒りを伴っておりますので決して良くないと思いますし、お話でも戦っていますね。

 

一般的にも「なんか腹たったから素敵なサムシング♪しよー」って子が男女共にいて、それがビックリな「えっ!あれってホントにいる人だったんだっ☆A!知らなかったァ~ドボルベルク~Aー、ドボルベルク~」もうこんな感じの意味不明さ。ドボルベルクは、たぶんどうしようっていう訳。あれを知ってる人は、言ってる時がどの状態かわかるといいなと思います(笑)

いや、これは実話じゃないよ(´•ω•`)?

でも本当にスマホ将軍の勢いすごいからね。

何やるかわかんないんだよ、年齢問わず。

鍋の中身も特にないのに、チーズ先生の謎の時代みたいに、笛の音をトランペットの音色に変えようと「根と葉と尾ひれ」を入れて、このツイートを拡散せよ!

 

(๑・㉨・๑)何してるの?

ʕ•ᴥ•ʔ嘘を拡散したいみたいですね。

 

(´・∀・`)このツイートを事実として拡散せよ!

 

\ボフンバフンドンガラガッシャン☆/

 

鍋の中身を見てしまう、クマゴロウたち

(๑・㉨・๑)…根も葉もないし、尾ひれだけ残ってる。

ʕ•ᴥ•ʔマンドラゴラの根と病気になった葉っぱを入れたから失敗したようで、尾ひれは魚竜のお頭です。

(๑・㉨・๑)あ、ホントだ。エビ被りやがって。こんなことやると、密林のスイマーに食われるだろうに。ニャーダの畑には、たまにやって来るって聞いたけども。

 

まとめる

最初に出しておいた議題ですが、答えはFF11の世界ではアトルガンにある「魔笛」です。

これは、ビシージと呼ばれる市街戦で敵とされているモンスターの軍団に奪われてしまうことがあります。彼らは種族的にもエリア的にも群れをなしており、3つに分かれていました。ビシージには、ゲージが見えるようにされていたので、もうじきくるということや独自にレベルも存在しました。これがやってないと既存のもので考えてしまいがちですが、当時Lv7が最大値でした。ここに意外性があった人は、物事を考えていく時にしっかりした見方ができる基盤があります。体感でしたが、Lv5で強く感じられるものでした。プレイヤーはLv75制限の時のものですので、その差が意味わかんないとされてしまいますが、7段階なのは軍団としてのLvであり敵全体が強さとして震度のように統一された強さになっている感じです。強いなと感じるというのは、体力やダメージの数値で判断される世界でしたから、常日頃これは勝てないなと思うのは、自分が受けるダメージの方が大きい時です。市街戦やカンパニエなどは、ソロでのそういった戦いとは異なる戦い方になり、75制限の時にもそこに至るまでの道のりは各ジョブによってさまざまで、学ぶことがとても多くあるゲームです。それが、ネットゲームである証だったと思っています。

 

泣きながら遊ぶって、20歳にして子供同然に歩いた世界です。たくさん泣いた。仲間と呼べる人と笑ったりもした。あの世界の風は、怒りで世界観を飛び越え、黒いディアブロスの原種として召喚獣の姿を借りたくなった。ゲームに悲しみを与えないための考え方です。倒し方知ってる‪w余裕‪wとか言われたくない存在って、わからないなら私の死後も人生も本当に何の意味もないものだって、あるスポットに行く理由だとわかります。

 

世の中は、簡単なのではなく、シンプルにしたらつまらなくなってしまうんだね。回路や迷路のように、人は知恵を使っていろんなものを編み出した。湯婆婆みたいな存在は、それを楽しんだり喜んだりするのでしょう。

台本を感じたり、私にはそれないんだよと思ってがんばってみたり。それがない理由は、組織に入ってない外部の人間だから。私は、トランプでいう3に勝てない。3がとても強いと思います。ジョーカーは、ジョークを使う者でジョーカーを扱う者はゲームの「親」と呼ばれている者かもしれないよね。

生みの親とか日本語には「木の上に立って見る存在」として、小学生時代に先生にそれほど子供のことを心配するように、見守っている様子から、この漢字は成り立ちがあるんじゃな~い?(˙◁˙)と、覚え方として教わりました。授業中の雑談の流れで。

 

学校教育の毛筆とか書き初めって大切だけど、ブログのコピーアンドペーストをなんつーんだよ?書き始めじゃねーズラァ!ほんの一例ですが、「何言ってんだ?」と事実無根に思えるようなことを言っているストレンジな人は、ストロングになるために電子レンジを脳内に設備として持っていて、中に入ってる「トンチ」を温めるために口論や主張を開始する特徴があり、ゴットファーザーが流れると「トンチンカン」が解凍されて、なぜかお風呂がわきましたとお知らせしてくれます。このいろいろおかしいって思う雰囲気がザックリ伝わるといいなと思って。全部変なこと言ってるの、それはこうだよって学問を変更して、こういうことを言ってると私は主張し始めます。すると、ニワトリさんは突如そこに興味を示します。

国語的な内容にある落とし穴は、実は理解しようとする気持ちにあり、言葉がわかるから親身になれるし、話を聞くという姿勢で周囲の人間がいてくれるんですよね。最も残念なのは、ご本人がそのことにもう気づけないご様子だからです。許されざる呪文を唱えすぎたことで、すっかり私の予想する「揃えてしまった者」なのかと思いました。

習性としていくつかの特徴を持っていますが、喜怒哀楽のスイッチが完全にバグってる、特に怒りがすごく異変なのでそのイメージを自分の記憶で探してみたら、まるでファミコンがバグった時の画面で物事を見る脳みそになっているのかもしれないなと思って、私は考え事に決着をつけるようにしています。

 

私は、祖父が戦争経験者の世代です。

そんなすぐに国が再び歩けるようになることの方がおかしかったんだと、今になって高度経済成長期の恩恵と「わからない」というソノトキを知らない者に、誰もがさまざまな出来事を通してなるということを考えてしまいます。激動の時代は、"どんな時代へ変わり続けても"…。

いつまでもキミだけにきこえるように

ゆずの歌にあるフレーズから。

 

感謝がきちんとできない人間にはなれない。本当の言葉が嫌味にしかならないなんて、とても辛い生き方です。

「ありがとう」の持つ嫌味は、誰かの痛みと深海ほどの悲しみ。

私は、この世界に台本と舞台などを感じるようになってしまい、ひっくり返っているものにダルマさんを思います。

 

(๑・㉨・๑)どんなことにも終わりがあるというのは、今が辛い人には希望に感じられるけれど、寂しさや名残惜しいと感じるのは幸せな証拠。そして、理解するのは戒め。そう思うことで、苦あれば楽ありを思うことに繋がるから。

ʕ•ᴥ•ʔ諦めてはいけないのは、幸せのバトン。そして、信じた道は裏切らないこと。本当に道の終わりに着いても何もないのなら、それは神様がこの世にいなくて命は輝きを失うことに等しい。

ʚ( °(エ)° )ɞいまが夜だとしたら、だから星は光を届けているんだね。

 

幻のクマさんずの教え

(๑・㉨・๑) ʕ•ᴥ•ʔ ʚ( °(エ)° )ɞ

「何かに気づいてもそこで灯火を消さなければ、信念は信頼になり信義を貫くためにある心を知るのかもしれないし、やっぱりそもそも何もないのかもしれない。得るものだけが何もない。」

 

失ったものへの後悔を、どうすることもできない者が願い事をした。

それは、本当なら伝わることのない想いで、その願い事が答えなのにわからないんだ。言葉が違うだけで、想いに差はないのにね。伝わらない悲しみが願いだった。

 

クマゴロウは、ファントムの机で彼の遺したものを読む時には、素顔でいる。数珠つなぎの事実を知る度に、涙が流れてしまうから。クマゴロウでいる時には時が流れ、素顔でいられる時にそれは流れていく。

 

彼の悲しみが空には川をつくるけど、その川さえも汚染して、臭いを発するのは誰のせい?考えてみても本当は誰のせいでもないのに、誰のせいにもできない感情は、喜怒哀楽をすべて混ぜて鍋の中へ入れられた…。

 

(๑・㉨・๑)人の心ほど、具材たっぷり!闇鍋感あるものはないんだってね。

ʕ•ᴥ•ʔフィックション!

ʚ( °(エ)° )ɞ♪夢であるように~瞳を閉じて~あの日を思う

 

テイルズオブクマタンず(笑)

 

(´・∀・`)セーブなんぞ、してんじゃねぇええ!!

 

 

2019年1月23日。

 

 

ふてくされミスト

ฅ•ω•ฅ色即是空の見方を考えていくブログ。

 

日々、過去の異質と向き合っていると「変だ…」と思うことが多すぎる。そういったことをまとめるように書いていくと、頭が痛いのが少しスッキリするので書いている。

 

この記事では「主張スタイルの選択」を考えていきます。

 

高校時代のこと

私は、国語の成績と数学の成績に差ができてしまい、偏差値のゲージ(棒グラフ?)を見て「ナイアガラの滝‪w」と言って、当時母に怒られるほど数学ができず、そこに英語も加わっていき、ほぼ国語だけで合格をもぎ取るように受験を乗り越えた人生です。1月という時期的なものではございますが、変な話でもなく、偏差値や成績はしょせん学校生活のものであり、大人になるにつれて自分の学力や周囲との調和などを学び、すっかりとけ込んでしまいますよね。そこに悲しみを見つけてしまう人は、私みたいな言葉の加工を食品のようにやり始める人間には「国語できるって言うけど~」と、日常的にドッチボールだと思い込んでいるボーリングの玉をぶん投げてきやすいのでしょうね。今回は、そういった無意識に見下せる理由についても顕微鏡しようと思いました。

 

私たちは、いつの間にか自分と同じとされる何かのレベルなど柵や括りを用意された中で自ら選択して中に入っていきます。牧場や動物みたいですよね。そこにいると、だんだん気の合う人というのは自分と似ていたり、刺激をくれるとか、ポジティブな理由から作った友達が常に近くにいることも、学生時代は無意識にやってのけています。これを意識すると、全く異なる考えで人間関係を探して時には強引にコミュニケーションを発生させてしまうこともあります。それが今ではネットやSNSでとてもわかりやすいのではないかなと思います。

 

私は、小学生時代にコミュニケーションについて、とても悩んだ時期が数年あり、自他ともに認める友達を作るのがヘタな人でした。主な理由は逆に「話さないから」でした。もっと積極的に…と担任から家庭訪問で言われ続けました。すると、親にも先生が他の人の家に行った後、なぜ話さないのかと理由を聞かれたりして、それさえも嫌な思い出のひとつとして残っています。だから書けるようになったこともあるのですが、「最初からできてたわけじゃないなら言うな」という考えの方もいるようですから、今のネットの扱われ方では、できなかった人はできるようになったとは言えないとしましょう(笑)

子供の頃泳げなかった人が、水泳の選手にはならないだろうという考えが近いですよね。生きていくのに、人間が最初から持ってる技能ってなんだろう?と思ってしまいますね。生きるために、すぐに自ら立ち上がること。何も学んでなくても、遺伝子や生態としてできることは生きていくために神様に与えられたギフトのようですね。その神様は、その能力を必要だとして、自らの生きた証を後世に引き継いでくれたような、はじまりの種かなと思います。

 

コミュニケーションは、傷つくことから学ばなければ感情豊かにはならないと私は考えます。たくさん泣きました。何も言い返せないと、ひとりで学校から帰っていた時期も当たり前に受け入れて、とても今の私では解けない問題となってしまっています。少なくとも小学生時代は6年間すべてを費やすほど、泣きながら自分の中身と向き合うように過ごし、私の人生破壊を好む家族は話すだけ無駄なのでひとりでやったんです。それをこのブログであらいざらい書くような人間ではないですし、そんなものに何の意味もないと考えています。

内面と向き合うことは大切なひとりの作業ですが、昼間は学校で少しずつ人間関係を得ようと学ぶように自ら話そうと努力したことも大きいです。

「自分の殻を破る」というのは比喩的な表現になりますが、子供の頃なら尚更怖いし痛そうだと思ってしまいます。それについては、たまたまテレビで見たことがあるのですが、卵から雛がかえることに、大変な生命の神秘を感じられるということが同じように当てはまるのだと思います。

その方法は、教育においていろいろありますよね。

私は特異な環境で育ったようですから、自分と向き合うことを選んだだけで、それはアレに似てます。裸足で歩いたら痛い石の道を健康のためと言われて歩く感じ。自分ではどうしようもないものが痛い痛いと言いながら歩いた6年間なんですよ(笑)

だから、まるで修行だと人生に思うのもそういった心の痛さからです。

心にルーモスを唱えて光を灯すことは、闇に包まれた世界で雛がかえるような輝きを感じられるのかなと思います。センターオブジアースの急旋回!急上昇!急降下する前に小さな白い光(天気と時間による)が、私には初めて見た時の感動が大きかったので雰囲気としてそんな感じ~と書いておきます。

私は、優しい環境が憧れです。

そこにいると、わからないものほど優しいんですよ。親がうるさくて~とか言える幸せを得られたさらなる幸せは、幸せの二乗が重なっていくとゼロになるのかなぁと思えます。幸せすぎる人って、たまにいますよね。

そういう人を見ていると、マレに見下す人がいて、こういう人のために私はFF11におけるアルザビに住んでるのだろう身分制度を感じています。それを感じさせてしまっては、国の形や姿まで浮き彫りになるようで、私が感じたものから名付けたのは「簡易ヒルズ階」で、ヒルズはスカイツリーみたいな感じで見てます。

私が歩いてきた日本は、何だか違うようです

親になっても、まるで子供のように「怒られてるみたい…悲しい」と傷ついてしまいやすい方を見かけると、ふしぎな気持ちになります。クレヨンしんちゃんのみさえが憧れなので、漫画『赤ちゃんと僕』にもいまを反映したようなお話が描かれており、園長先生の名場面として記憶しています。子供がかわいいあまりエスカレートしたお母さんの頑張り方は、実は他の話でも描かれ、それでも主人公の家族には母は亡くなられていて回想シーンとしての出演です。

私がこういった作品から教えられたものは多く、私の大切な道しるべです。主人公目線で見る別世界であり、人の内面を描くことが上手な漫画家さんに感謝しています。それを書いたり書かなかったりするのは、ずるい生き方をされた人がとても近い人間関係の距離でわんさかいたからです。誰だって、うまく育ちたいし育てていきたいですよね

でも、だからって本来は感謝に尊敬を込める位置にいる方々を逆さまにして、最前線に送り、そこに感謝と生存していることへの尊敬としているようで、嫌なんですよね。学生時代から、妙に知ってるぅ感を出してきてた理由がそれですよ。

私は罪人なんだと、どこぞの勢力に思わされて生きてるんですよ。

職質をされないと伝えれば、逆によく職質をされると述べた美容師さん(!)からは「そうでしょうね‪。」と見た感じの印象から判断をしていただけました。

それは、鍋の中身がないのに「ある」と思い込んでいる、または思い込ませれば凡用性の高い返し方で罵り続けることができてしまうのです。まるで、会話のパス回しみたいに

そこだけ上手で、御JAWSです。

あとはヘタクソ。全部ヘタクソなのに、パス回しだけ回覧板回すみたいにこなれ感出る。

 

ないものをあるって思ってしまうのって、寂しいって思える人はガイモンさんを大切にしていませんか?

 

私は、あのキャラが大好きで漫画で読んだ時に尊敬しました。ワンピースのシーンに泣いたのは実はあまりなく、ナミやチョッパーのエピソードとガイモンをいつも先に浮かべます。続いて、奇跡なめんじゃないよ!の流れと、ルフィのいろんな名シーン、エース、ネコマムシかなと思います。ここまでくると、感動は喜怒哀楽だなと思えます。

 

私は、ないのにあるとしているのは「悲しみ」です。

それは、まず自分のから大切に語れることにあり、そこから先は器の問題になってしまいます。一体どこまで他人の喜怒哀楽をバイキングするのか。悲しみだけを乗せて、席に戻って泣くのでしょうか?

私は、喜怒哀楽を乗せていきますが喜びや楽しいものをメインに感じていたいです。悲しみほど自分の人生から多く得られるものはなく、それは自分で選んだ悲しみですから「そんなにたくさん考えられない」というのは、そもそもこれについて語るから聞け!というスタイルの方々が怒るのであって、言葉やこういった考えのもとに生きていると、ブドウにしたいんですよ(´•ω•`)

もぎ取りたいとか、流行りのものではフェイクニュースの素材としてコネコネしたいとか。もう、人の発言を引きずり出してはブドウに…。なんか、自らの人間性とかの組み立てをした方が早いんじゃないのかなと思う人ほど、他人を叩いてお金を稼いでいるように見えて、いろんな競技を同時開催しているような大運動会に、みんなで出てるのかなぁと思って放送委員として「まだ速い、まだ速い。旗がんばれ、城がんばれ。士気下げないで旗あげない」って言ってる方が楽だなと思ってしまいます。そんなに好き勝手できるならさ。

主張って、そんなに聞いてもらいたいかなぁと思うんですけど、そういう人は人間が好きなんだろうと思います。私は、私の大切にしたいものをただ持ってるだけで、ギャンギャン吠えられるんだなと思います。

身近にいた人々から考えると、悲しいんですよね。

そういった悲しみが自分にはなくて、それを幸せって言うだろうとしているけど、羨ましくなっちゃうほどっていうのは、私の頑張り方への言葉として消化できそうです。都合良く考えてると、言葉も感情も汚いものになっているのに、その泥にまみれた心にも気づかないのは本当にうまく生きていく大切さを見れますね。

もう嫌だなぁと思う力が強すぎて、逆に「なんであなたが私の人生を代わりに歩んで、たくさんの罵声と暴力やねつ造をたっぷり受けてくれなかったんですか?」と問いたい。何回死にたくなって、死に方探して、それでも生きて、この与えられた人生を頑張ってる理由がわかりません。何にもわかんない。わかんないから話さない。そしたら、それも嫌だってファービーみたいに見られる感じが伝わればいいなと思います(笑)

 

これに何の意味も見つけられないのは、簡単に見えるからかもしれない。遠慮も考慮も、常に張り巡らせてるのに、気に入らねぇなぁがわいてしまうのなら、見る方ではなく書く方、発信する方がやめていくことを喜んで選ぶ。けれど、個人情報にサヨナラホームランしてるようでは、いとも簡単に発見され、次はないのではなくもうない状態って、背水の陣すぎて何だこの崖っぷち国家はと思ってしまいますね。変なニュースにまみれて、事実確認のしようもなくこれじゃ撹乱っていうか、錯乱した人が鬼になって撹乱してる鬼ごっこでしょう。かくれんぼしてるけど見つかったら鬼ごっこ

 

コレミヨガシ

世の中には、わざわざ悲しみを作り出してわざわざ悲しんでくれる「意味のないスポンジ」があります。わざとという魔に、ズボぉーとハマって抜けないようで全部の心理を表すピタゴラスイッチの仕掛けに引っかかっていきます。ドミノも倒すし、間違った選択肢を選んで泥にツッコミ、ガターンと倒れたイスからすべり台で綺麗に落ちていきます。バラエティの神がいるとしたら、もう国全体にバラエティを仕掛けてきているように思います。フレンドパークの壁に飛びつけば、それは壁ではなくドミノでしたとか。チャリにがんばって空気入れてたら、煙ふいて知らん人がピタッと何かに乗ったとか。見えないところで、それぞれにピタゴラスイッチしてるんだろうなと思って、世界がつまんないことに笑い始めた人が新しい感覚や価値観を福寿草に変えていくんだと思います。

草を生やしすぎてしまった人が、自分の世界観に広がり続ける草の中から、それを見つけるのは大変そうだと思いました。

 

最近描いたもの☟
f:id:hanakonekono:20190120185433j:image

 

落穂拾いが好きで、背景に描いて加工で表すものは教育と住む世界の違いです。

子供から大人になる過程に、それぞれに歩むスピードがあり、一緒にいるのに家庭環境は全くの別物だったり。知られざるものに涙を流してくれるのは、本当は関係者や同級生に多いのに、私は相反する感情を抱いているわずかな異質の存在もいる。

気がついたら、大人になっている。

この画像で、私がスッキリできるのはこの子供から大人への移行です。そこがそんなに違うのに、5W1Hばっかりぶつける人と話したい人いなくなります。自分で考えて歩いて行ける人がそんなにいないとは思えない時代です。そんなに助けてもらいたい!って人が投げてくるものは、鋭く尖った三角錐であることは投げた本人が悲しんでもらいたい。

私が怒りを持つのは「何にそんなに怒ってんの?」と思う人です。これを学生時代に教師や友人枠でやってしまった人がいるから、劣等感からぶつけられるものは、私の人生にある最大級の痛みなんだと思っています。

 

まとめる

私は、まずぶつけることはできないとしています。

しかし、ぶつけられるとぶつけたくなっていきます。

私の人生から考えてみました。

 

なぜ、そんなに怒鳴り散らすのか?

なぜそんなに知っている風に、私をほくそ笑むのか?

 

私が、痛みと涙で不満だらけなこの人生を歩んでいることが、制裁や何かの仕返し‪wとでも言うように、私が生きていくことに必死になってみれば、今度はそれが気に入らなくなる。褒めてもらえなかったことで、もっと、もっといい子になって表彰されないとダメだ…それを学生時代に考え続けて向上心にしてきたのに、結局何も得られないまま大人になってしまいました。もうそれも諦めた頃、ポツリと親に褒められたものは、お茶の俳句でした。学生時代の何かを自分なりに頑張った結果ではなく、ストレスを緩めたのは趣味の域になってからかなと思います。

 

 

金で買えないものは、ないんだろうか。

いまを見ていると、浴びるような黄金の無駄遣いを遠くから見ているようです。

金のない者に愛はない。

愛のない者には、何にもない。

何にもないものには何にも与えない。

何にも与えられないのだから、何にもない。

 

ʚ( °(エ)° )ɞ♪ナイナイナイ あるんじゃない?

ʕ•ᴥ•ʔナイナイナイ!でも終わらないー

(๑・㉨・๑)寿司食えねぇー ※アレルギー症状

 

懐かしい究極の選択。

◆金持ちの出川哲朗と貧乏な木村拓哉

結婚するならどっち?っていう質問に、本気で悩めるアホな高校生時代。正解は、そんな前提のおかしなふたりは存在しないし、選んだところでふたりにフラれる結末が待っているだけ(笑)

しかし、当時用意されていた教えは貧乏でも木村拓哉からの愛があればだーいじょーぶ~という出川さんに失礼すぎるお話。今となっては、この時の嫌われ者キャラは影をひそめていますから、失礼すぎるレベルだけが感じられますね。愛はなくても、金があればいい!と言えることもあるようで、そこには木村拓哉に浮気されるとか貢ぐ流れを尾ひれのようにつけて派生していく恋愛観の沼。高校生時代には、そういった恋愛観のお勉強にも人の縁として大変恵まれました。

 

人の心は、お金では案外満たされないのかなと思って。スリーコインズで満たされる方が幸せ度は得られてるのかなと思うし、お金はあるのに愛がないって、他者からのだったら寂しくて喚くだろうし、人から愛されようが自身には愛がないのなら、ハウルしてんのか…ソフィに会えることをお祈りしようと思います。

 

実は、「自分のことを好きになるっ!」というのは、ルフィが海賊王になるようなもので、私はまだ空島でヘソってるだけです。他の仲間のように、それぞれにあるものを共有して、共に目指すのってみんな好きで応援してるんじゃないのと思います。

受験生を応援するTwitterに、なぜか幻のクマさんずの展示品のひとつ、「木製のアイドントノウバット」の妖精がどんぶらこしており、若干の恐怖を感じる絵柄でした。

カギカッコの読み方って、義務教育で習ったような気がしたけど、「~の」っていう表現のファンタジーランドには、カギカッコをつけることで見やすくなるし、わかりやすいのかなと思うのですが、基本的にはそこまでわかりやすくしたくな~い\(˙◁˙)/と思って、わざとわかりにくくして弾いてる、弾かれてしまうようなストレスの泥沼に頭までハマっているような人もいますから。

 

身近にいた例ですが、それぞれに家庭環境という見えなすぎるものや自身のコンプレックスと向き合うことをやめて、がんばって向き合って堪えてるような人間に当たり散らす生き方を選んだ人もいる。人生とかコンプレックスとか家庭環境なんて言われなきゃまずわからないし、たとえ言われてもそこからぶつけまくったマルトリートメントがありえないダメージなんですよね…。自分の弱みになるものは、言わない方がいいって数学の先生に言われたし。自分の幸せも考えなきゃダメだし、優先順位をつけて誰かの気持ちを自分をさしおいて考えたい時は余裕のある時にするとか。なんか、そこの決定権を握ってる人って常任リフジンでいいのかなと思う(笑)国じゃなくて人だから理不尽。

 

心理作用を好かれるためとか何かに悪用したり、好き勝手に扱う者は心理作用にことごとくハマっていくんだろうと思っています。ハガレンの扉を越えてしまうんですよね。けれど、何を失うのかさえも心理はわかりません。錬金と心理では違うからかなと思います。

心理は、知るだけにして使ってみたりせずに、むしろ引っかからずに防御とする方が使い方としてほこ×たてになりそうです。

御札(オフダ)っていうか。

 

人それぞれに悩みも悲しみも、深く沈んでいくんだね

とりあえず感情をぶつけるのとか小学生や中学生みたいに少ない文字数や言葉で罵る使い方は、ネットを表す大海原が…ごはんですよみたいになるかもしれない。

言葉が重油みたいなんですよ。

 

(๑・㉨・๑)幸せなら手を叩くんだよ。

ʕ•ᴥ•ʔほら、みんなで手を叩こう。

ʚ( °(エ)° )ɞスマホを叩いても仕方ない。人を叩いても、誇りが出るか埃が出るだけ。考えちゃダメだよ…考えちゃダメだ。考えてないのに言葉が紡がれていくのは鼻水…?

 

ネットに杉林地帯が…!?

大森林なみにあるのだろうか。

 

願いは、私の好きな色味で書いてみたい

トゲトゲの実は、心のトゲが心地よいのか抜けにくい。たまに、ペって投げてんのよ。…心のオナモミだよ。

 

 

クマゴロッター

(๑・㉨・๑)

クソリプや罵り、嘲笑する人の心の様子としてふさわしい芸人さんのネタ。イワシになって思いのほか喜ぶやつ。夢オチ。

 

 

2019年1月20日

 

 

心のカギはTetoTeに隠し扉の導きを

ฅ•ω•ฅ色即是空

 

みんながそれぞれに与えられた人生を歩んで、イロトリドリなのに混ざってみたらやっぱりダークトーン。声色という言葉がありますが、色味と声のトーンは合わせて考えていけそうですよね。

色合い、色素…。色を表す言葉は多彩な広がりを見せてくれます。

 

この記事は「人生を越えて山彦草を見つけよう!」をテーマに書きます。

 

イラストの解説

過去記事にある、解説をするのは別の記事でと書いた画像⬇


f:id:hanakonekono:20190117153813j:image

わかりやすく、もう一度貼ります。

これは、そもそも誰にでもある裏表や自分が生み出した仮想敵、中には本当に邪魔するために生まれ落ちてしまう闇の存在について書こうとして自分なりに頑張ったヤツ。加工の怖さがマイブーム。

 

注目するところ

  1. 甲と乙は何?
  2. Aは誰を表すの?
  3. Qは何をしているの?
  4. 温度計は何なの?
  5. 左側の人は何を奥歯で噛みしめるように飲んでるの?
  6. 虹色の軌跡は何?
  7. 点Pはいつも何をしてるの?

 

私があらかじめ用意した問になりそうなものは、これくらいです。それ以外は、特に意味はありません。個人の感性を表しているとしか答えられないので、知らんがな。好きにしろとは言ってないので、答えは「知らない」です。そこを掘っても、私の雑巾はいつぞやの牛乳を拭いたんだよって感じ。埋蔵金って、言葉を知ってるのも世代か。それのダジャレ的な表記で書いてます。それくらい、意味のないもの→知らないしわかんないものなんですね。

 

それでは、質問大好きチーズくんを先に予想だけして、私がスカッとジャパーン!したので謎解釈については、終わります。嫌なものの代表例です。

 

1の甲乙からですが、マレに見る表記で「甲乙つけがたい」という言葉を思い浮かべる、ただのAやB、1とか2なんですけど。昔の考えに基づく表し方で、そんなに(これなんだろ…?)ってほどの内容ではないことも多いですね。いつも、区別するための表記としてしか見ていなかったですし、壱とか弍みたいかなと思います。少し調べてみると、契約書関連でした(笑)学校で見た気がしたのは何でだろう。

イラストの甲と乙には、その人の身に起きる外部からの刺激を表し、左側には現代ではネットも含まれる内面的要素を込めているので、主に心の中なんですよね。

見えない心を表した世界観には、洞窟や巣穴が誰しも「家」という考え方で存在するものですが、ここにSWATしたり空き巣が現れたりするなど、まるで立てこもり犯扱いや盗っ人が心を荒らしてくることも意味しています。

現実で、何らかの刺激が雷としてあれば、心の天候が荒れるという表れ方があるのでしょうね。心の空は、天気予報のように日々さまざまな雲で彩られるのですから。

 

Aにいきます。

家族の中のひとりが、炎上を表す黒い炎に包まれた時、焚き火ですが火災になることも考えられます。ひとりが燃えれば、家族も手を繋いでいることでアカウントの共有をしていると現在は捉えられてしまいます。ひとりで勝手に放送室でアテンションプリーズしてるのに、家族でやってるのと同じとされるのです。これは、私は毒親持ちなのでぶった斬りたいほど「まず、家族で話してもいいですか?会話を聞いてていいので。」と言いたいですね。怒りの度合いによっては、それさえも聞いてもらえないのでしょうが。存在にうんざりしてる家族間でやる方が先だなと思ってしまいます。反省させてから、外部に怒っていただきたい…。

 

Qは、キャラ的には原始人ですが「狩人」の設定です。強い人という描き方です。私も原始人として自らを表すことはありますが、私自身をいう時はそうではなく、やり方の古さやハイテクではないことなどから、合わない者として自虐的に見てそうしています。スタンプ加工の仕方ない部分ですので、説明は加えておきます。現代のものの見方としては、紛らわしいですから。

謎解きという意味での問題でもあり、これを解くことがAの本当の問題であるという構図でもあります。誰に狙われてしまったのか。「草」という言葉は、忍者の用語でもありそこにはこの構図を表すような説明もされているので、時代の渦というのは私たちには霧の果てのようですね。

 

温度計は、心の中の温度や気候を表していて、炎上は闘牛のような状態を表した用語の「トランス」とも考えており、燃えているとか湿気や砂漠のような気候を普段から心に宿してる状態と考えて、目安に置いてあるものです。

自分の現実世界がどちらなのか、考えてみるのも「思い込みの世界観」の怖さがわかりますね。

※イラストについては、大事な約束事がありますので最後に書きます。

 

左側の人が何かを飲んでいる。

これは、甘い汁や味をしめるという言葉を表したものです。悔しいと思った時の様子が異様な人は、奥歯をギリギリとするクセや表情としても顔にとてもよく出たりして、瞬間的に他人にはどうしようもなさそうな劣等感を持っているとか、過去が垣間見れたり、その人を形成した出来事、そうなった流れを結果だけ見れたような感覚があります。原因がわからないので、それ以上何も思えないし言えなくて意味はないですけど。今は見えにくいとされがちですが、「関係者以外」の部分ですね。そこを平然と跨いでいくのも人柄でしょう。ズカズカなんて表現もありますから。

人との距離感の問題ですよね。

 

虹色で描いてあるのは、1から順に数字を辿って形を完成させる脳トレのやり方から考えたデタラメな人の「話の展開の仕方」を表した流れです。私は、一応右側を外部として描いたので、人とのやりとりを始めた時に適当に振った番号のようにその軌跡は描いてみたら、なんだコレっていう図形にしかならないんだろうと思います。ヘンテコ魔法陣だけできたかなぁと感じられる会話って、こんな感じで何にも意味ないんですよね。ただ相手のおかしさだけが浮いてくるだけで、普段とそれが明らかに分離してるのがわかると話すことは無理だなと思います。学校内に存在する、会話をしたがる妖怪に思えてしまうからです。

相手には「つまんない」だけを与えるのに、押しつけたいとか話したいという欲求を直すには、激痛が伴うと言われる逆転をしなければならず、本人が逃げた先は…と考えたら「安易」という答えがたくさん出される気がしてます。これを人間関係の立ち位置も考えずにただやることはできず、確実に関係が破綻するので日常や会話の中身に喜怒哀楽があるほうがいいと考えれば迷うことも悩むことも減らせると思います。

 

私は人を好きになるのはシンプルですが、嫌うのは理由を説明することになるので、相手のダメージが深刻で、それを言う側はノーダメージなことが事態の悪化を招きます。私のことを嫌う人間からの言葉は「それ」がソ~レソレソレになっていくからです。

いつもふつうなのに実は…というのも、私と相手の許容になるので、「あとで話し合おっか」とか結局はコミュニケーションの発生でなんとかしたいですね(笑)本当はそう思ってました系は、距離感と普段があってこそですから。それも、学生時代なら友人として笑えるか泣けるかかなと思うし、思い出ですよ。死後の世界になった時に、想像上の思い出(人生)のアルバムに見開きで貼り付ける感じ。

簡単には嫌わないですけど、無理だなと思うのは大人になってからだと現実世界でひとりだけですね。日常的に関わったのは。

ネットはバードウォッチング的な数になりそうなので、うわぁ…と思ったら心の中でブロックして不思議な感情を言葉の解析から考えてみたりして、笑ったら何も伝えずに終わり。学校と同じって本当。

 

(´・∀・`)ででーん♪バッターOUT。

 

点Pは数学的に答えを用意されることがあるだけのクマたんの軌跡。それは会話の流れで経由しない、できないことに会話の無理さを感じられるということです。ここまでの流れから得られるのは、オリンピック競技のようにスポーツとしての会話を繰り広げたい人と、相手の書いたブログを見つけて嬉しそうに楽しげにテンション爆アゲ状態でお話する気はおきないですよね。フォーメーションとか全部ウォーターボーイズ的に書いてあるものを、バレーボール式とかドッヂボールで野球するような人が、自分が点入れる時にはスリーポイントシュート!なんて、感覚の違いがエア系。

 

まとめる

しっちゃかめっちゃかな会話って、会話を模したボールとかがどこか行っちゃうんですよ。過去行ったり、現在だったり。自分だけの会話の引き出しがタイムマシンの中なのすごいなと思います。

起承転結が支離滅裂になってしまうのは、自分の中の問題をいきなり投げつけてしまうことにあって、それを会話で「自分とあなたの違いは何ですか!?」と聞いているようなものだからかなと思います。自問自答を自問他答、究極のコミュニケーションの押しつけになれば他問他答してしまうことがわかりやすいと思います。自分の中に留めたり、解決しようとがんばったりすることを怠る、何らかのコンプレックスとか気質などが場数をお持ちの方や専門家からは見つけられるのかなと思います。

この手の人は、周りにふたりいて3人目は分離した自分に耐えられず、そのふたりとぷよぷよ的なくっつき方をしたと見ています。ひとりは、教師でした…。学生時代から、憧れることがないまま、ひたすらがっかりしたりストレスの素材だったことで1度も目指すことのなかった職業のひとつです。学校の先生と話せばわかるのは、目指さない理由なんだよね。それでも、国語の能力を褒めてくれた先生が何人かいたので、こうしてブログや創作物を書けたんだと思います。

 

口論することで、何がわかるのか

 

 

 

ʚ( °(エ)° )ɞ言葉のスープが冷たいの。冷製言葉のビシッゾワァズ。

 

私は、自分がやる時にも答えが本人の言葉で出てきてほしいとして、相手の引き出しをあけるのは質問者なんだと思うのですが、常日頃客観的に見れないというのは、そういう主観もおかしくなってしまうのでしょう。「自分で言った」という表面上の勝ち方を、今度は剣道的に見ているような、何かの技がある感じ。そして、大抵それ答えたくならないだろっていう、いきなり踏み込んだ内容。

 

努力家の踏み外す道や踏み外し方は、原動力が謎の「負けたくない」という思いから始まると、人生の台本というゲームにありそうなアイテムがあったとしたら、自分のではなく他人のものを見てしまえるんだなと思います…。それは仕込まれているものから、本人が知らないもので、びっくりな本当に血の根源にあたるものまでを見てしまえると仮定して、その代償はゲーム的にはIDやパスワードを入手されて人格的にも、心にもログインされ放題な人生となりそうです。

これは、周りがすごく迷惑であると同時に、自分が知られたくなかったことまで自然にバレてしまうような、FFの暗黒騎士が使う大技に思えます。自分を捧げて言葉の攻撃力を上げるやり方ということです。

そんな人に会ったことがないという人は、悪いほうの縁に恵まれない幸せといのもあると、おわかりいただけただろうか…。

 

私たちは、ラットの実験と同じように知的生命体に観察されて、生きていく道を見られているのかなぁと思って、なるべく楽しいもの、命との関わりで嬉しかったことやこの惑星のいいところを探し続けて、好きなものを多く書き、嫌いなものは怒りを「言葉と感情の深海」にまで辿り着くほどのエピソードとして、神様に書いて渡せるように人生を送りたいです。

 

このブログに書いた過去も未来もすべて、私ひとりの人生にある出来事で、すべてはひとりの人間に与えられた人生です。

 

何があっても、それが星に到達するまでの道のりで、RPGでいえば辿り着くまでの道中になるのですから、あまりにも壮絶な人生を送らせるなら、同じ道は辿れないだろうと思います。たとえば、仲間を編成したのに、よし!めざそうと開始したら仲間が全部違うとか、信頼が0からで行動が制御不能。常にパルプンテを唱えるしか、私は歩めないのです。これでは、まじめにやる方がバカなゲームになってしまいますよね。あまりにもチートやバグが横行する世界観を知ってしまうと…。

ゲームの方が調節がきくなんて、ずいぶんこの世は腐ってるんだなと考えてしまいます。

 

一度何かの言いわけという意味で逃げ道を見つけて覚えてしまったら、ずっと逃げ続けてしまう習性は心の脆さからで、それは子供の頃に覚えてしまうのでしょうか。まだ引き返せば心のドアは閉まっていないのに、怒られたり信頼を失う怖さなどから背を向けてしまうことで始まる導火線。そこから離れていけばいくほど、オートロックの扉は完全に閉められてしまうのでしょう。心の鍵は、いつも手に持っていなければならないけど、中には鍵をなくしてしまうこともあります。そういうときは、地図が代わりに与えられていると考えましょう。真っ暗な世界をただ歩いていくのは途方もない。

心と言葉についても書いておきたいと思ったので、シンプルに後日まとめます。

 

大切なこと

友達や家族は街灯や道を照らすもので、ネットは夜空にも似ています。

 

だから、大切なんですよね

そこに、いろんな作品の導きもありますし、心の道や風景は人生そのものなのかなと思いました。

私は、何もわからなくなった自分を知っています。笑い方も話し方も忘れてしまった時は、こんなブログを組み立てることはできませんでした。

 

せっかくなので人生にあった不可解と、世代の闇を書いておこうと思いました。それが、私のブログを持った醍醐味ですね。テイルズオブシリーズのバルバトスのような人の存在を特定ではなく、いたということだけ知ってほしいなと思って。

 

私のは、ファンタジーの世界観を通して向き合って、そこでも悩んだ自分の内面や心があったことで、見聞録になっているただの人生というコウカイをしている記録です。

私のものの見方は学生時代にはやらない方がよくて、無邪気に遊び、何も考えずに会話を楽しむことで毎日を思い出として過ごすことが何よりも大切であることは、前提です。

ネットに年齢制限や免許などが必要ないことで忘れてしまいがちですが、学生さんは読まないでほしいなと思ってしまいます。

このブログは、有害物質だからです(笑)

やってみたいとか、言ってみたいという理由や、今の世の中の風潮から「他人にばかり矢印を向ける人」のストレスや不満は、重たく苦しいもので当たると痛いです。

これからは、私という意味ではなくこれを読んだ人という意味で使う「まず自分自身に矢印を向けること」ができるようになって、初めて六等星くらいの光を届けられるのかなと思います。肉眼では見えないとされる星の明かりです。一等星ではないというのは、私の責任に対する考え方です。

 

思い出に勝るものは、嫌な思い出だけです

長く生きたのに、振り返ればスタート地点が見えてる真っ直ぐな道のりとこんなに歩いてきたんだと思える道のり。そこに花も咲いているなら、終わり良ければすべて良しは本当だと思えそうですね。

 

数日のまとめとして、少しごった返したような記事になり、迷いながらの見解をド素人の被害として表しました。現実にはこんなもんじゃないんですけど、偶然にも教師関連のニュースが飛び込み、怒り方として若干のやりすぎ問題が蔓延しているとわかる形で知ることになるので、事前に「笑ってはいけない心」の概要だけでも書けてよかったのかなと思えます。普段や怒り方、先生への最低限から最大限の尊敬を中学時代までに持てることが双方の理想としてあげられる教育機関です。

 

学校は、先生への忖度を学びに行っていると子供のうちから心を痛めつけて、そうやって理解させていていいのかと問われているのでしょうね。

私は、そこで教科書からは学べない事の方に意味があるとしますが、悪い環境になる理由は何ですかね?

知らないものには何も意味がなく、バカバカしいで終わってしまうのはわずかな楽しみとほくそ笑む幸せかなと思いました。最近、それが著しいので、だんだんお互いに不平不満のシーソーゲーム!シーソーゲェエエエム!してるみたいで最終的に均衡を保つ形で「オモンナイ♪」だと思います。

 

ʚ( °(エ)° )ɞ甲斐性なしの意味がわかったぁ~

ʕ•ᴥ•ʔそんな単純なことも既に~

(๑・㉨・๑)星になれたらいいな~

 

クマゴロウだけが、ひとりでは解けないパズルに夢中なのでしたー。

 

(´・∀・`)野性のクマゴロウ、GETだぜ☆

 

※野良クマゴロウは、既にクマゴロウではありません。

 

 

 

 2019年1月18日。