White Rainbow

ある日、霧の中で幻のクマと1匹の野良猫が出会った。

偉人は、すべての悩める人々の大先輩!

ご存知の方もいらっしゃると思いますが。

 

何かを始めようと思った時、「それはもう既にやった人がいる」という言葉は人類の歴史まで解釈を広げた時に、なんで新芽と言えそうなポジティブなものにまで言ってしまうことがあるのかなと疑問を持ったりもします。ネガティブなもの、主に罪になるものに照明をあてるように説明させていただくと、その言葉はストッパーとして受け取るべきで、末路などを知ったらやらないよねと止めることになると思うので、言葉自体を悪いとすることではない。

 

今回は、そんなお話。

 

はじめに一言で注意書きとさせていただきたいのは、否定ではなくテーマ(題材)にしているだけです。

否定的に読んでしまわれる方は、特に目立つこともないこのブログを選ぶ必要はないと、書く側として思っています(´・ω・`)

 

コウモリ論

こうも理論とも言えそうな、このサカサマすぎる考え方は古くは天邪鬼と言われたかもしれません。

記憶の彼方には、地獄先生ぬ〜べ〜のAというキャラが浮かんだことがあり、他の言葉で有名なのは、雲と泥を使ったものでしょうか。

月とスッポンポンだったらヤバすぎて、それくらい凄いことなんだと思いながらも、堪えきれないものを感じられます( ゚∀゚)・∵ブハッ!

 

⚫月とスッポンの語源

月とすっぽんは同じように丸いがまったくかけ離れていることから。このときの月は水に映ったもの。また、すっぽんは「素盆(ずぼん)」が訛ったものとも。

 

引用元

月と鼈 - ウィクショナリー日本語版

意味は、なかなかスッポンに失礼なたとえで、コウモリ論とは少し違った角度の見方を必要とするのですが、私はこうも違うのかと言いたいだけなので、似てますね。

 

天と地が逆なので、すべて逆に捉えてしまう思考、趣向ということです。

何でも否定から入ってしまうとか、人がいいって言ってるものは良くないと思い込んでしまっている状態。

それは、それでその人のものなので基本的にいいんですけども、みんなと違うというステータスは大人になっていくにつれて、特に日本では吉と出るか凶と出るかと言われやすいジャンルの考え方かなと思います。

 

パラダイムシフト級!?

これは、偉人さんにも言われたような類のことで、世界的に知られる武将がうつけと言われたとかトトロは公開前に関係者からの評価が低かったとか、すべてが最初から高い評価を受けていたわけではないというのは、よく言われることです。

 

私は創作をしますが、王道が好きで根本的な部分としています。漫画かってに改蔵スキー場の轍のエピソードをとても大切に心に残してるので、参考にしています。

誰かが通った轍だらけだと言われる世界で、いざ滑ろう!とすることがどれほど困難なものなのか、または容易なものなのか。

人は、もうずーっと芸術や音楽でも作品を残しています。

今なお残るもので学ぶものも多く、そこから新しく何かを想像することは時代の流れであり、言われるであろうこともその作品が辿るひとつの可能性という意味での運命だとすれば、わかってるってどれほどその作品と自身が向き合うために必要な力となるのでしょうか。

私は、言われそうなことはたまに想定して、人生観や風潮を素材とし、童話や伝承にも影響を受けた上で今は亡き作者さん達に、これが現代でございますと言うだけなのでブログと同様に、いらない感想込(消費税込)みたいに考えてから、大丈夫!これで収益得てないからと言える意味のNASA(!?)は大切に主張する所存です\\ ٩( 'ω' )و ////

プロになるなら、今度は言われたことは参考にしなければ意味がないので、糧(必要ストレス)です。

 

趣味でテニスしてたら、同じく趣味でテニス活動を見守る人(?)から松岡修造語録やプロテニスプレイヤーに言うようなヤジを飛ばされた(!!)ノ)゚Д゚(ヽ

そんな世界なんですかね(笑)

 

実際には、特にこれまで届いたことないので、エゴサがもはやトラブルメーカーですが、ほとんどが過去のツイートを貼られたもので、ポジティブな使われ方と受け取れるものが大半なのでありがたいシェアだと思っています。

芸能人のエゴサはやめた方がいいと前から言われていますけど、一般人はやったら高確率で怖いものが見れる、ほん怖ドアですよね。

 

なんていうか、何かをやるのに他人に言われてやめられるならやめたらよくて、犯罪ではなく何かを目標とするなら、誰ががんばるの?自分でしょ!自分!はじめはテニスだって球拾うところからだよ!そのうちそこで楽にこなすためのコツ掴んだり楽しむこと覚えるんだから!

 

(๑・㉨・๑)そう!ついでに恐ろしい先輩からスマッシュ当てられて痛すぎても、(当たって)すいません!!って先に謝れるようになるんだから!!

ʕ•ᴥ•ʔスマッシュ練習は狙ってきて怖いのに、いざ試合に出ると私とペアを組んでいたヤツは1回も打たないまま中学と高校を卒業。

 

それもまた思ひ出ですから。

これは学生時代のケンカ込ですけども。

 

調べればわかることも多々ありますから、今の子には酷だよなと思うのは、本当にネットの世界なんかに当たり前にバッシャーン☆て入っちゃって、溺れたり深海だよそこはっていう所行って深海魚と何かのお話をしていたり、海猿に救助されてみれば深海語を話し出したり…。

私は、若い時を実が青いうちと考えて果物やらにたとえたら、台風や雨風に晒されるのに何も対策がない状態って、本当に被害が出るよなと思います。買ったばかりの服も、素材をわからずに専用のネットなどで守らず洗ってしまえば…泣きを見るんですよね。しかも、ありえないことに部屋着や汚れた服とも一緒にお洗濯されてしまっているのが現状です。

 

(๑・㉨・๑)そして、私はマレに体調不良などから寝っ転がってブログを書いているクマ…。

ʕ•ᴥ•ʔ今は、良好なので違いますけども。

 

まとめる

こう言えばいいんでしょ!?と、大人の言い訳を早くに覚えてしまうと、周りが大人になった時にその差は格差どころではなく、段差かもしれません。

いつぞやの格差社会から、情報の格差社会になり、やがて本当の人間格差になるのも隠されたテーマのうち。私は、これがパラダイムシフトとのちに言われそうだと懸念していますが、おそらく誰にも変えられない未来のひとつでしょう。

 

変えられるのは、他人ではない。

自分の未来を本当に変えられるのは、まず自分です。ねつ造やいろんな策略があっても、メインストリートは変わらないんですよ。わき道が変わり、その都度生まれたりしながらヤブからスティックしてくる感じです(´•ω•`)ネットみたい。

やっぱり、人がいるところは言葉や隠されたマナーのダンジョンなんだとわかります。街は芸能人の公式サイトなのでしょう。

 

よくある雑談コーナー

なかなか減らない上に未だに納得してない「ブーメラン」は、パンツなのか投げて遊んでたやつなのかと悩んでみて、テレビからは西城秀樹さんの♪ギャランドゥが流れており、「答えにどう?」と投げかけられたように感じて想定しながら聞いてみたら、世代から私がちょっとズレてるのでわからないものが至らない部分だと思い、上の世代の人に引っ張りあげてもらったような私の世代は、そりゃティーダなのかなと感じて、見た目からも未来を思わせるような彼のキャラはわかりやすいんですよね。

スピラという世界では「知らない」ということが、何を意味するのか…。

 

(๑・㉨・๑)反省や決意を秘めた思い出として語られる冒険は、とんでもない展開を見せる物語。

ʕ•ᴥ•ʔファイナルファンタジーは、受け継がれてきたタイトル。作品には世代とそれぞれの思い出があったりなかったりする。あるなしクイズみたいですね。

 

かたるーにゃ?

ここからは、ないのにあるものを語るのかというお話へ。

 

今ある当たり前は、見せかけの平和だったように思います。世界を見れば、それはよくわかるので豊かさが与えたものは何だったのか。私は、ひとつに絞らずいくらでも出していこうと考えます。

 

スマホ」と、答えをひとつ出してみれば、その中身は数多ですよね(´・ω・`)

 

言葉の意味も、それまでは普通に受け取れていたのに、今はもうひどい言葉だと思えるものが増え、そのひとつに「自業自得」があります。これは、私には「地獄におちろ!」くらいに感じられます。この言葉は連想されるものに仏さまがあり、お経に相当すると思っていますので、それを意識したらなかなか言えないです。

死後、魂に言うような言葉で、断罪を意味するように感じられるんですよね。

他にも、すごく重みのある言葉が四字熟語などには多いと思います。軽めなのは、おそらく私はことわざや慣用句だと思います。

 

しかし、こういった言葉の威力を最も多く教えてしまったのは、ここ数年のネットなのではないかと思います。

日本は特に、私の子供の頃の家族との喧嘩を振り返ってみても、言葉による攻撃って武器がない状態では身を守るために、自然と覚えてしまいます。

けれど、私もそうでしたが必ず大人や年上の者には逆らえない強さがありますから。たとえ勝てる戦いであろうと、負けを選択しなければならない展開ってあるんです。

特に相手が家族ではない他人なら、尚更、意識するべきもののひとつでもあると思います。

 

人間関係の距離を表す言葉が答えであり、言葉で口論は起こるものの守れるものは自分だけなのではないかということを、誰かを攻撃する場合は理解しているのかなと思うのですが、学生で大人と対等に口論ができるような扱いは、ネットでは受けにくいと思います。

桃太郎的武勇伝や金太郎状態は、まるである海賊漫画のキャラのようです。私も泣くほど好きで、感謝と尊敬を持っていますがそういった影響力には悲しみも感じます( ; _ ; )

これに関しては、また記事を分けます。

 

自分の言いたいことだけ言うのは、主にブログのなせる技であり、それも今は難しくなったというのがよくわかるので、会話もまた表現ですから、常日頃いろんなことから考えていくべきなんだと学んでいくことにしています。

 

今、ブログに求められているもの?

すべてを書けない理由と書かない理由は、同じであり、私はテレビやメディアではないということが大きいです。

いつからか、問いかけはあっても答えを明かす形では書いていません。ですが、読める方には答えの部分が一応記載されていることが読み込むことでわかる文章にしています。それは、読み込み中のまま読み終える方もいる部分で、御自分の答えや考え方のほうが大切である証とも言われるものです。

 

読んで覚えてしまうもの、それは私への挑戦状にされるのかなとフッとよぎる感覚に、人生観のスリップストリームとしている現象があります。他には踏み台効果や誰かへの攻撃に使われるという、意図しない使われ方をされることも視野に入れるべきだと思うから、今は気をつけています。

 

私が気をつけているのに、使う側が気をつけていないのは武器だってわかってたよね?と思っていますので、私にはただホースが水を撒き散らしているように思います。

それがとんでもないものになるなら、私は表現をしても二度とネットなどを通して公開にはしないでしょう。

 

じゃあ、草原に残されたものは…?

 

切手のないおくりものですね。

なんだか涙のでる思い出のある歌です。

 

ネットの使い方が変わりつつあること、芸能人のネットへの関わり方、現実への不思議な影響など平成の終わりが迫り、ひとつの時代の終わりもまた、私には良きものであるようにと想像する楽しみがありますから。

 

簡単に壊れたり失うのに、再構築するのは大変なものってなぁに?

 

また少し、整理整頓が進んで、書いておこうと思えるものもあるので書くのですが、今回は特に長くなってしまいましたm(_ _)m

内容から、なんとなく公開をためらいましたがそういったものは少なくありません😟