White Rainbow

ある日、霧の中で幻のクマと1匹の野良猫が出会った。

ブログの挿絵効果といえば…

ฅ•ω•ฅ色即是空のような、心に描く風景。

 

このブログについて、またステップアップするべきかと考えを巡らせてみました。

 

フリー素材発見から数年経って…

何かを表したイラストがあると、途端にパッと見ただけで頭に入ってくる情報量が増えて、記事のメインとなる伝えたいものがもっとダイレクトになるかな…?と思い、存在は知っていたもののお借りすることは保留にしている、その道ではよく知られたいらすとやさんを検索しました。

 

今後利用することも視野に入れて、しばらく眺めていたい画像が多い、素晴らしいサイト様だなと思います。

ただ、わかりやすいイラストを借りるというのは、記事へのどこでもドアのようなリンクを初めて貼らせていただくことと同じように重大な決断で、禁じ手のごとく完全に自分の書いたブログではなくなる気がして、いらすとやさんありきのブログになってしまうことが一番の懸念であり、いらすとやさんにとってもそれは想定外でしょうから、あのイラストの魔力は凄まじいと思います…!!

 

なんでそうなるの?

いらすとやさんの提供する素材は、痒いところに手が届くようなものです。描かれたものを見た時の印象を大きく左右する「ほどよいうまさ」と「見る者の年齢を問わないセンスの良さ」が均等に混ぜられたような、この現象を何かにたとえたら化学反応を起こしているものだからです(`・ω・´)マジメッ。

あの絵は、全体的にどこか懐かしさと見慣れた感じを持つイラストになっていますよね。軽めに調べてみたら、フリー素材の特徴は「中身そのもの」で、あれはどこかで見たな…と幼稚園や小学校の頃を中心に遡ってみて、…何かのテレビ番組だな???

 

(๑・㉨・๑)!!

ʕ•ᴥ•ʔ…お気づきかと思いますが。あれは怒り新党で投稿内容を再現するのに使われていたイラストに似ているのです。

(๑・㉨・๑)なんだかほのぼのとしたBGMが聞こえてくるのはそれだったクマー。でも、違う人説もちゃんとあるクマね。

 

心とはふしぎなもので、怒りの中にクラシックが再生され、老若男女に親しまれそうな絵柄でそれを再現されれば、たちまち自分さえもいらすとやさんで掲載されたような、良いネタ・キャラ気分♪和むのでしょう。

 

ʕ•ᴥ•ʔ怒り新党さんを調べると、♪「ます」などの有名なクラシックが使用されていました。この曲の歌詞が記憶から再生されるのですが、私は小学生時代の思い出によるものです。

(๑・㉨・๑)月光や運命などを常時使用していたら、また違った番組になっていたと思うクマ。

ʕ•ᴥ•ʔ偉大なる音楽家さんたちが生み出した数々の英雄曲は、幻のくまさんずが選ぶ!名曲ガラモンソングに相当します。平成の運命(!?)や田園と呼ばれそうな曲ですから。

(๑・㉨・๑)…本当、ガスライティングはガラモンソングなら日本人にはわかりやすいのかもしれないクマ。

 

いらすとやさんで素材をお借りするということは、漫画DEATH NOTEのように原作者と絵を描く人が分かれてしまい、絵本にも多く見られる、ひとつの表現のパターンが誕生するような感覚があります。

フリー素材と言えども、著作権までは放棄していないというのは大切な表現方法だからだと思います。

 

注意すべき点

いま、ネットにあるものは「そのへんの道に落ちている石や草と同じ」ではなく、しっかりと敷地内であったり、所有権が認められるような流れが既に組まれていることを理解していなければならない。

これがなぜか判断を難しくさせる!

私もよくわからなかったりする(´•ω•`)

 

(この話をするのに、私がネットに放り投げたかのように、ゴー☆ルさんに画像を拾われまくるのは不具合に思えてならない。)

 

ネットはゴミ箱ではないけど、そろそろ日本においては80%をこえる普及率の、私を含めた人間達が描いてしまったような、もうひとつの地球から突きつけられるものがあるのではと思います。

それは、先にmixiが教えてくれていたように思います。私はfc2ブログが復元されたら、自作の小舟なのに、いきなり♪my heart will go onされたように感じてしまうかもしれませんノ)゚Д゚(ヽ

いい歌ですよね。ジャックと再会なら素敵。…スパロウだったらビックリ!

 

分かれ道とその判断

いらすとやさんもまた、この時代をよく表すようで、様々な意見を生み出されたんだなとわかり、その世界の始まりと繁栄が浮かぶのでしょう。

 

もし、私を発信するということを指した「最終電車」としたなら、いらすとやさんを利用することにとまどいがあることを懐かしく思う方もいるのではないかと考えました。

これから…、という方もまだまだいることと思いますが、後続にはわりと厳しいものになってきていますよね。

ここに運命の分かれ道は存在します。

 

✧なぜ、それをやるのか?

  1. 浸透しているものだからやってみたい。
  2. 楽しそうに見えたからやってみる。
  3. 簡単そうだし気軽に始められそう。
  4. その他

 

お手軽でなければ、そこで挫折する。

つまらなそうに見えるものをわざわざやらない。

昔からあるもので知ってるし、ちょうど暇もできたところで今の自分を試したい。

 

これらの「ありそうなもの」を考えてみると、100円ショップが未だに利用される理由を見ているようですし、実際それで済むものもあってクチコミなどでの広まりはすっかり文化になったのかなと思います。

そこに、いらすとやさんの歩いた道と重なるものもあるような気がしてきます。

私には、それはもう記憶の片隅で、当時客側だったのでおそらくテレビから聞いたものですが…。

 

庶民が何を喜び、求めるのか。

そこに個人の利益や事情までを誰もが考慮して、100円ショップを潰す動きを客が見せなかったことは、表現の時代における価値とは何なのかをそれぞれに考えさせられる社会の問題のひとつです。

そこにある答えのひとつには、今だからこそ言えそうな「使い分ける」という大切な判断基準が、人それぞれに生まれているのだと思います。

 

そして、ブログにも「Twitterはタバコと似ている」とする考えがあるなら、それは(スマホ含む)ゲームのような感覚でしょう。

過去記事でも少し触れていますが、SNSがもたらす疾病は大変恐ろしいものではないかと思います。それも、考え事のうちなのでまとまれば新たに記事などに表す予定です。

けれど、それは既に表されているものも多くあるものだと思います。

 

まとめる

ブログは、楽しいものです。

それは誰もが最初に感じられる人生の喜びのひとつ。

それはまるで赤ちゃんや子供に時が戻るように、親以外の人から褒められる感覚が再び訪れるもの。

そして、それはこの時代だからこそのたくさんの人とのふれあい。

そこに自分が生きた証が思い出のひとつになって、書くことで自分自身を日々見つめ直すことができたり、これは自分の一部だと言える、かけがえのない心を目に見える形で表せるものだからです。

 

それは、本当に誰にでもかけるものなのでしょうか。

 

他人の顔に泥を塗る行為、罵声を浴びせること、水をかけるように嘲笑すること。

 

「かける」には、何がハマるのか。

 

それは人それぞれ。

その世界の専門用語もあるそうですが、最近私が考えた反転させる思考は写真のネガのようです。

 

人類の謎にあたる表現が、日本語の神による表現の技法「戯れ」に見えます。土佐日記の一小節みたいな。【やっと到来】

さらに、左右が逆になったような「逆にねー!逆に」状態で人とも会話を楽しまれる(?)難易度の高い技もあると聞きます。【鏡の魔】

ブログでもそれをやるとなると、基本となる主語や話の中にあるYESとNOを逆にするのは、とりあえず反対語の域で、なんとかうまいことギュッとはめ込む技には類語も広く扱われるのかもしれません。【言語のTRICK

※カッコ【 】の中は、私があてはめただけの私的なネーミングです。

 

(๑・㉨・๑)それは、絵文字でやるだけでもヤバいもんね。🚻💖が🚻💔になってしまうクマ?

ʕ•ᴥ•ʔ翻訳:トイレ ハート ぱりーん

(๑・㉨・๑)今の絵文字の出し方から訳したらそうだけど、それは時代を重ねたらいつしかわからなくなって、恋愛を表したとか言われちゃうのが歴史ミステリーで、「読める!読めるぞォ!」文字が読めるぞクマ。

 

余談

日本で知られる「ハートフル」が英語ではおそらく綴りの違いで、真逆に近い「ひどく傷つけられた」という意味になるのと似ているなと思う、第約310回☆私の人生までフリー素材ではない❣の巻。

ふしぎなことに、誰もがそう言わなきゃわかってもらえてない時代…!?えっそこから?って思うところから、スタートしていくものもあるようですから。

 

ʕ•ᴥ•ʔ<夢幻にまどろみタイム

難しい漢字や難読語よりも、常用漢字や地名などの方が必要とされる場面が多く、常識とされますね。最終的にはローカルなものに絞られていくところでもありますが、遠くのローカルか現実にコツコツと築いてきた人間関係かは選ぶ場面もが、いつの間にか突きつけられているのも知る人ぞ知る涙のひとつ。

 

言葉主体とフリー素材に関して、私には極小規模のパラダイム・シフトのように感じられるのかもしれません。この感覚が大切な柵で、またぐには自分なりの答えがまた必要だと感じます(´•ω•`)

そうしないと、自撮りの流行やInstagramの自分の投稿に起きた異変を悪夢とし、一度越えてしまった見えないハードルは知らぬ間にどんどん低くなる現象再びに思えて、この後悔に似た病に何回かかるんだろうと凹むので、今度は逆に高くなっていくイメージにしようと思いました。

 

(๑・㉨・๑)ブログのSASUKE的発想の転換

ʕ•ᴥ•ʔSASUKEのようなブログとは!?

(๑・㉨・๑)放たれるヤツは強烈!

 

         ☆彡.。

 │∀・`) ニャッ。