White Rainbow

ある日、霧の中で幻のクマと1匹の野良猫が出会った。

読み解く力は対人ではやるべからず。

ฅ•ω•ฅ色即是空の心に描く風景。

 

最近、気になる件があります。

それはもうだいぶ前からで、私の場合には環境に重なってきます。内容から、ひとりふたり周りにいたかも…と思う方も多いと思います。

 

今回は、「得手不得手」について。

ひらがな表記にすると、なんかかわいい上になんの事かわかりにくくなる言葉。

ふたつ前の記事で、課題として別記事予定だったものを整理してみようと思います。謎に対する応急処置くらいの感覚でお読み下さい。

 

カスタマイズ性

ブログにもカスタマイズはたくさん用意されており、そこに個性や他でもよく見る見慣れている安心感などが多く存在します。

カスタマイズの理由は、自分好みを基盤として見やすさやブログ全体の雰囲気を決めるものまで、コンセプトのひとつともとれる世界観の表現だと思います。

 

特に、私はそういう選択の幅を楽しいと感じるタイプの人間で、自分のものをある程度、可能な範囲でカスタマイズするのが好きな人は研究熱心な一面があったり、客観視できる広めの視野を心掛けているので、ブログにそれが表れていることが多く、ひとつの判断基準なのではないかと思います。

カスタマイズで調べると、心理作用が発動し自分を含めいくつかの影響があり、見た目もアクセスに関わってくるとして、応援するように教えてくれています。

そういう知識やスキルを善意で公開にしてくださる方がいなければ、本に頼るしかなく、始めようにも下準備が必要とされ、滞ってしまいますね。

今のネットに、私が感謝している部分でもあります。

 

全く同じ組み合わせで、タイトルも同じで…それは企業だったらヤバいですよね(笑)

ブログでは、ある程度用意されたものを利用させていただくというパターンや数学では何通りの話なので、同じでもどこかに違いは出てくるものですね。

私は、タイトルにオリジナリティはないですし、カスタマイズ性の方に少しでも自分好みを見つける楽しみがあったという話でした。

 

このブログは、文主体ではあるもののシンプルイズベスト代表の大企業ユニクロタイプには遠く及ばず、それってやっぱり「ブログは経営学」なのかなと思うところでもあります。大学時代の教授の本(教科書…)探さないと見当たらないのですが、ノートも飛び飛びで残されているものは極わずかという寂しさ…(´•ω•`)

 

それぞれに、掲げる旗やコンセプトがあるというのは、大切な基準ですよね。

日々、私には書いておかないとならないことが降り積もっていくようで、その感覚は「最初に地面に積もる雪」を思い出します。

 

足跡を消して…

私は、ネットの大草原からいつの間にか遭難し、雪原か雪山に立ち入ったようです。記憶の旅をあてもなくさまよい始めて、8年。

私はいろんなところに、書いてきました。ミスで消してしまったものもあるけれど、この想像でいくらでもマップ化可能な地を歩き続けること、6年になります。

記憶の旅との差は2年。その間、紙のノートや携帯のメモ機能を活用し、書きたいことをひたすら書くやり方で書き残していました。その頃に、自分と向き合うことをしっかり構築していったように思います

 


映画『アナと雪の女王』松たか子が歌う本編クリップ

 

裁縫でいえば、記憶の「仮縫い」の状態で現在に至る道は暗く冷たいものが多く、辛いし飲まれればずっと泣いて、言葉を綴ることも話すこともほぼないかなと思います。それを避けるためにも、人と接することで回復したい心もあって、自分で書いてみるブログはとても役に立ったと思い、それを書くメリットとしています。

人と接することで治るのは、自分の喪失です。

私自身が感じたことで、うつやある願望から逃れるにはもう一度楽しみを取り戻すことにあったこと、自分を受け入れること、対人スキルの確認をひそかにしていたような8年でした。過去記事にはつらつらと書いていますが、私は地域密着型とはいえ接客業をするまでに復活できたとしているのは、20歳頃にふさぎこんでしまったからです。学校生活に支障が出たことが今へ繋がる大きな妨げで、やり直すならと仮の話を考えると必ずそこからを考えます。

心の回復とはそうなる前の自分に戻れた感覚があったからです。

ありのままでなりきってるブログと言われそうな演出、Youtube導入。

わかりやすいかなぁと思って貼るんですけど、たまにオススメのものを貼ることもあります。

 

常に、誰しもこの通りであるとは限らず。

どれだけ自分との戦いが可能かということしか言えないのが寂しい現実でもあります。私にはテニス部という学生時代の部活特有の経験があり、スポーツを通して体感で覚えていったものは精神面での記憶にログイン→バトルだったように思えるのです。

この感覚が掴みやすい方は割合的に多くない方がいいのですが、今の時代では少なくないという表現に変わるのかもしれないと思います。

人それぞれによるところが大きいのが記憶=人生観で、「自分観」という言葉も生まれてしまいそうです。

そして、過去の自分を今の自分ならどう慰めるのか、何を伝えたいのかを考えました。私には、いまがあるのは「過去の自分」が泣くのも忘れてがんばっていたからだと思い、「未来」から言えることは感謝と何とかなるよということでした。自分自身のことだし、自分のことが嫌いでねつ造する人達(一部の同級生)には関わらない方がいいと伝えたかったです。

その時の環境が自分や人生のすべてだと思い込んでしまうのは、辛いですから。

 

✧最初に地面に積もる雪…

記憶の底にあった雪のお話。降り積もるまではとけていくけれど、どこかで雪があとから来る雪を支えることで降り積もっていくのだとするファンタジーなお話を読んで、最初の雨に気づく人のようにファーストペンギンは、雪にも言えるんだと関東住みだから穏やかに考え、記憶の中で大事にしていたのかなと思います。説明をたとえたもので物語ではなかったです。

 

⚫ファーストペンギンとは

集団で行動するペンギンの群れの中から、天敵がいるかもしれない海へ、魚を求めて最初に飛びこむ1羽のペンギンのこと。

 

引用元

ファーストペンギンとは - 人事労務用語 Weblio辞書

アメリカでは、「転じて」人に対して使われることでも有名なようです。日本ではこの様子から二番煎じの方を見てしまうのが、同じような敬意を込めた見方なのかなと思いますがペンギン目線ではないですよね(´•ω•`)

人目線によるお茶の新鮮さを語るためのもので、転じて…斬新な発想はそう言われやすい傾向にあると思いますし、リスクを嫌うのが日本人の気質にも思えます。

並々ならぬ努力や忍耐、様々な知識…それらを含んだ人生には、大きな運があり強運は待ち構えている…!!としたら、チャンスを逃さない精神は臨機応変な覚悟で、昨今の接客業にもこの「臨機応変」は必須とされます。

人と関わる仕事をしたことがあるとほぼ言われるし、よく知られた四字熟語です。

これがマニュアルの結びの言葉となり、教える側には便利な一言ですが、言われる側には「あとは自分で頑張ってね!」と、一匹のみによるファーストペンギンを言い渡される気分です。゚(゚ ˙-˙ ゚ )゚。

先輩に相談したり、わからない時は聞くことを仕事仲間として拒否するための言葉ではないのに、そう聞こえるというのは接客業の怖さですね。

 

そう何度も仕事仲間にサポートしてもらえないというか、"いつになったら後輩に「臨機応変」を教えられるようになるの?"と言われそうですし、同期や後輩にもメキメキと力をつけていく者はいて当たり前ですから、流れについていけずに自分が去るなんてことになっていくのが、荒波とされるものなんでしょう。私も、よく溺れて泣きます。

向き不向きって、学生時代に十分味わうことのある挫折の一種ですね。

 

言葉の解釈

接客業を引き合いに出しましたが、ふしぎな階級は見え隠れし、どこでやっていたら、経験があったら採用に有利とされている大企業もあるのが現状ですね。それがマニュアルの強さで、蓄積されてきた対応の手順とされる項目も入ってくることが多いです。

特に、謝罪の要求は誰しも子供の頃からを思えば屈辱的ですよね。けど、賃金が発生するということ、人と接して働くってどういうことか。

それを最も考えられる機会に、仕事仲間以外の方々からのお言葉や声があるということは大切なんだと思って、それをふまえて接客業を嫌いにならないでいるのですが。

 

◆ブログが全体的に接客業並になったとして、求められているもののレベルは高いのか低いのか。

◆子供が読んでもわかるように、すべての人がわかる書き方で今後何を書いていくのか?

 

そこに、ネットの見えないという怖さをふと考えて( ゚д゚)ハッ!としました。

 

私たちは、公立の小中学校を出ることを広く一般的とします。中学受験からは裕福であることや頭の良さも問われてくることがイメージから持たれるので、「お受験」の領域で外で友達と遊び回っている子達とは、また違った時の過ごし方があることに不思議という意味でも学問における「レベルの違い」を感じることがありました。

それは、同じ子供時代なのに思い出が異なってくるのかな…ということが大きいように思うので、この時点で「異なる---〉異常」という解釈ができてしまうことを懸念しております。(矢印じゃない怖さ…!)

 

これは、その言葉から連想するものや発想することが、何かの発端のように「転じて」しまう人は、たぶん辞書が私たちの使用してきた国語辞典ではなく、類語や対義語、この言葉を使った用語や漢字辞典などを見ているように思うんですよね…。【マジカル☆バナナさん?】

日本では基本が国語辞典なので、クイズの域に到達して"「?」を使った熟語や言葉を述べなさい。"という形になってしまうので、コミュニケーションの問題がクイズ番組に発展していき、これはもはや「日本語の展開図」的で「それを正しく、図のように組み立てることができないから不正解なのよ?」と言われた私の数学の考え方と知識に等しいです(涙)

何が間違ってるのか、わからないまま卒業しました。【苦手意識の完成】

 

言葉を知っていくのにはそのやり方はいい…のかなと思いますが、これは日本人の英語の勉強みたいですよね(´•ω•`)

移住してきた人の悲しみは、私が苦手としているもので、大人になろうとも子供のように泣いた思い出と似ているのかなと思います。コミュニケーションから学ぶことは、大切ですよね。トラブルの際に、自分の話を聞いてもらえるありがたさってあると思います。私は英語で体験することがありました。

ここに違いがあると、そういう人には言葉で倒す感覚になるのかなと思います。

 

呪文の心理と言葉

(これを使ってみたい…!!)と思うことは、他国の言語においては最も危険区域に近く、ハリーポッターの呪文<セクタムセンプラ>みたいです。

これは、呪文を知った主人公ハリーが意味も正しく理解せず(?)、同級生に腹を立てたことで咄嗟に使用してしまい、ある先生に怒られるシーンがちゃんとあります。【ネタバレ注意】

隠して書いたけれど、見てない人にはこれだけでもネタバレになってしまいます(´•ω•`)隠した部分が見ることによって明かされ、そっちの方が大切かなと解釈しているので、あえて例として書きました。シリーズを追って見ていくと、とても緊張感あるヤバいシーンです。

 

ハリーポッターシリーズとは

第1巻『ハリー・ポッターと賢者の石』がロンドンのブルームズベリー出版社から1997年に刊行されると、全く無名の新人による初作であるにもかかわらず、瞬く間に世界的ベストセラーになった。

 

引用元

ハリー・ポッターシリーズ - Wikipedia

 

ホグワーツも好きなので織り込んでみました。

ものの見方とは、自分にとって「良かったところはどこなのか」であり、友人とでさえ映画の感動シーンに違いを見せたし、感想でケンカになるなら、私はそういう子とはまず友人ではないけれども、観る映画の選択ミスでしょう(笑)

普通は話が盛り上がるように、作品としての良い評価やクオリティにも繋がっていきます。人間関係が構築された上で一緒に観れるということは、作品をみる楽しみのひとつなのではないでしょうか。

 

言い方を考えていく

要するに、「合わない」って既に言わずもがなとされてることなんだとして、これからの日本語の未来が嘲笑→冷笑になったら、とても寂しいと思います。同じような意味が検索では出てきますけど、そこで「同じだ」という答えを出してしまうのは、数学的思考パターンかなと私は考えています。

私は、嘲笑は指をさすなどしてあざけ笑うことで、バカにすることを多く含むものとし、冷笑とは冷ややかな目を向けながらさげすんで笑うことで、その違いは言葉の持つイメージにあり、冷笑はやがて「差別」を呼ぶと思います。

そして、それをお互いにやっていたら…ネットの終わりってそういうところにあるのかもしれないと考えます。

 

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改善することは可能だと思うのですが、なぜか大人になってみたら逆にトラブルが増えたとも思う理由なので、「合わないですね」というお互いに出ている答えでいいんだと思います。

 

人間関係は国際的な関係(国同士)とイコールではなく、私は別物だと思いますから(´•ω•`)

簡単に言ったら、顕微鏡で見る感覚というか、ズームの仕組みで、国規模の友好関係は一般的な友達とはまた違うとして、人と人は国と国のやりとりにはほど遠いものと考えておりますが、そうとも言いきれない問題も確かに風潮やニュースにあったんですよね。

これは、全体的なイメージの話ですけども。

国としてではなく「人として見られる」というのはとても難しいもので、これは接客にも求められることが増えて、生きていく大変さであり、人間関係において大切な部分です。

それが、仕事では向き不向きであり得手不得手とされる、ひとつの判断基準です。私も、接するのに苦手だなと思う人はいても、全体的に嫌いだとは判断しません。接し方や対応の難易度が高めな人はいる…と思います。【突然のハードモード】

 

 ブログの書き方や注意点にふれて書いてくれていた方をはてブで見つけ、記事を読んでいたら「殺伐」というワードや「比喩」を使わない方がいいということに、私の書き方や心配事が重なり、この記事で私が書こうと決めた言葉選びや書き方の注意点は、今後考えていく必要ありということが本当によくわかりました。

それは残念なことに、ブログを通して表すだけムダで今はこうしてネットで拾い拾われ、気づけば誰かが自分の代わりにそこに立って笑っている…という時代なので、ブログに秘められていく何かの個人情報は本当に大切だと考え、まもなく書くのをやめて気が向いた時に非公開にすることも想定して、何度目のため息です(笑)

 

まとめる

パーソナルカラーのように、辞書や事典を作成し、専門家に定期的に診断してもらう必要があったんだなぁと思います。ネットで現実では関わりのない人とやりとりをするって、そういうことですよね。【るろうの検診】

 

高校以降、特に「周りと同レベル」であることを良い意味で意識しながら、囲まれている人生。大人になってからも話が合うのは、最終学歴という説があるのは、就職先の差から生まれる会話(感覚)のズレだそうで。同じような就職先になることで、人間関係の囲いが「防風林」の役割を担うと聞きます。

 

解釈が変わりつつあるなと、私が思っているふたつの相反する言葉は、もはやネットでは「タブー&マナー」で、軽はずみな罵倒はダメなんだと思っています。みんながやっているなら、やりたくなるしやる自由は当たり前に認められるはずのもので、「あなたに悪影響を及ぼすからやめた方がいい」と言っても、ハンドルを握れば離すことは容易ではないと思います。そこにある悲しみは、私の涙の重しであるように思います。

 

例)「何気ない会話に潜む、読解力テスト」

(๑・㉨・๑)ミミタロウは本当に頭良いよねー!

ʕ•ᴥ•ʔ…ずるがしこいとか狡猾と言われているように聞こえます。それは、ソレガシにとってはえげつない嫌味ですね。

(๑・㉨・๑)えっ!そうなんだ…。Intel入ってるならいい?

ʕ•ᴥ•ʔポン☆ポポポポン♪

 

私のわかりやすい例ということで、「必ずしも」というのが通用しなくなるなら、私はネットから離れるつもりです。

トラブルになるような人と現実で関わることが私にはありえないし、なりすまし以外にないと考えているので本当にネットが面倒ごとだらけに見えてきました。

 

言葉が好きで大切に考えている分だけ、傷ついたり傷つけることになったり。国語が好きでいいことなんてないのかもしれない…とブログから発生するコミュニケーションには、さすがに対応する精神力が私にはもう残ってないと考えます。

できない人に合わせる授業よりも、できない人が悪いとされやすい環境作りは私の涙でもありました。【小学校あるある】

 

(´・∀・`)先生の授業わかんない人ー?

(๑・㉨・๑)ノ はい。

(´・∀・`)何がわかんない?

(๑・㉨・๑)え…全体的に何言ってるのかわからないです。

 

(´・∀・`)じゃ、クマゴロウがわかんないみたいだから今日はクマゴロウに合わせて授業するけど、今日やるはずだったところはテストに出す大事なところだから、各自やっといて。

 

(๑・㉨・๑)!!!

ʕ•̫͡•ʕ*̫͡*ʕ•͓͡•ʔ-̫͡-ʕ•̫͡•ʔ*̫͡*ʔ-̫͡-ʔ

クマゴロウ、ふーざーけ↑んなよ!

ʕ•ᴥ•ʔこのように、先生の一言がきっかけで苦手だった子が泣くこともあったのです。隣の席の子が「最ッ悪ッ!」と言ってフデバコなどにバシッとペンを叩きつける行為も見られます。

 

劣等生だった私は、小学生の時ほど授業中に泣いたこともありますが、先生の謎の一言で、授業が滞り説教モードになるのは今もよくわかりません。

 

(๑・㉨・๑)若い先生や憧れの先生がいない、優しいのは保健室の先生と2をくれる苦手科目の先生。

ʕ•ᴥ•ʔ自他ともに認めて字が下手くそなのに、褒めてくれたのは選択の自由(趣味の域)の授業で、書道の先生でしたね。

(๑・㉨・๑)子供の頃は、人の話聞かない典型的な子だったクマ!自分で気づいて意識を改革することは、ほどほどにやれば成果はあるクマ。

 

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バルス!魔法陣みたい。

いらすとやさんを借りる練習中です。

タイトルの続きを書くなら、作品を対象としてその力を発揮していきましょうというものでした