White Rainbow

ある日、霧の中で幻のクマと1匹の野良猫が出会った。

歩くと角が飛んでいく…?

ฅ•ω•ฅ色即是空

 

昨夜は、早朝にかけて怖い夢を見てしまいました。話すとそうでもないのかなと思いますが、内容的には主観なので怖いなと思いながらだったのです。そういう時、起きても夢見心地でぼんやり世界観に脳内は取り残されているように感じます。自分がどこにいるか、ふとわからなくなるような感覚が子供の頃に多くありました。寝ぼけてると言われるものですが、恐怖を感じるのは大抵自分が追い詰められて、絶体絶命の夢でした。

夢は、まだまだ広いふしぎの領域ですね。

 

今回は「主語のドッヂボール」を書きます。

 

 

義務と責任

国際情勢も乱れてきていますから、以前のように距離をとり、口を閉ざすことも考えて、個人の問題となっている責任あるものをという意識を再認識し、発信するなら内容には自身で可能なかぎり調整していかなければならないなと思いました。

私は、この手の責任は書き手としてのもので、説明の義務はあるだろうと考えています。それが「書き手の意図」を大切にする読み方であり、読み手の解釈は何の責任もなくやがてデマにしてしまったり、ただ書き手のみに重りをガシガシ乗せるなら、責任の天秤は何を表すのかなと思います。

私は、そこらへんの考え方は過去に同じような記事を書いたことがありますから、今後「ネットを読む資格」も、昨今のネットの怖さを思えば、無自覚に情報という武器を振り回す行為が問題視されていますので見える形であった方がいいのかなと思ってしまいます。

10年ほど前には、インターネットを使うための資格なんて…と言われていたこともあったのですが、人が増えればルールやマナーが発生し、そこには社会が生まれるとヴァナ・ディールで思いましたから、今なら反発もそこまでひどくない状態で、きちんとした学びや資格を必要とされることも懸念のうちかなと思います。

 

ネットの見えない川に笹舟を流すように、ただ発信する者としても、不安になることがいくつもあって、目立たないし埋もれたブログだからと気を緩めることなく、しっかり書いていかなければ、ある日ガラガラと崩れ落ちる感覚が調べればすぐに出てくるのでとても怖くて、書く作業は心には良いのですが公開するまでの手直しは、崖っぷちをへばりつきながら登っているような気分で行います。

 

(๑・㉨・๑)崖っぷちのクマゴロウ。

ʕ•ᴥ•ʔ崖の上に川がある構図。

ʚ( °(エ)° )ɞクマ見の滝で鮭を探しています。

 

今年が終わる

また、画像を加工しました。


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これは、話をしていくとどこかで直角に曲がるように話を展開する人との対話を表したものです。これじゃミニ四駆だなと思って、描いた時は見えない何かの壁を感じて、矢印に会話の流れを表しました。エフェクトは、某ファンタジーから湾曲連携ならぬ、歪曲連携を表現。

Aは、「パンドラの箱」でなんか出てきてる様子。

①は主語のドッヂボールを模した、話の要点や争点にあたるものです。背景は、宇宙をイメージしました。サンタさんは、加工の素材なだけでそんなに意味はありません。無邪気な感じが出るかなと思って。あとは、鳥系とチョウチョとハロウィンしかダウンロードしてないので、過去ツイを見るかのようなサンタさんもイメージとして配置。「現場」は、ニュースになった時の用語で、そこに向かうサンタさんは偶然にもよそ見をしています。しかし、トナカイ達はまっしぐら…。

 

普通は話の展開は、直角にはならないんですが、そう感じるのは相手にとっては「そこ(①にあたるもの)」が動詞とか5W1Hとしてさほど重要ではなく、それよりも自分はこっちの方が重要で…という論じたい項目へ導いていくやり方です。ミニ四駆なら、コースを変えてしまえるのかな?と思います。やりとりのイメージとして、卓球とか…?

どんな結論に至るか答えが一致するまでやり直すような、勝ち負けさえもどうでもよかったりする結末には…無理難題を投げつけるやり方があります。これは、私が子供の頃からぶつかってきた「正常の欠如」です。

正統派というスポーツなどによるルールが「ない」ものといえば、結末に勝ち負けもないのです。単純に、勝ったらという望んだものや交渉において、相手は勝てるものさえも初めからない状態で挑むので、強者の立場ではそのような相手に対して「勝てる」という思い込みで招く災厄が用意されていると、私は考えます。それが、私の人生にある「秘められた書」です。

 

私が書いた「仇桜」は、その流れがあります。

 

災厄は訪れた。

 

使者を倒したら、自分達を模した勇者様御一行が現れて人々を苦しめるようになった話。

書いていた時には、明確に自分の中でも答えとして出していませんでした。本当の災厄は使者を倒すと訪れて、真の勇ましい者とは魂や精神のことで、武勇ではなかった。そのあとの災厄も祓える術を知る旅として、私は主人公にあたる者に見えない形で背負わせたのかなと思います。

仇桜は、そこにライトをあてて書いていないのですが、この物語には旅の中身を描くことが序章として浮かんできます。長編は苦手で、頑張っても文字数が至らないのです(笑)ロード・オブ・ザ・リングみたいな雰囲気で想像します。

 

まとめる

こちらの想定している範囲は、当たり前やまともに考えるという常識に沿ったもので、スポーツのルールなどはどんなことにも適用されやすいものです。このへんをふと考えた時に、学生時代などに好んでやってきたことは大人になった時に、ふとわかりやすい形で感覚が蘇ることもあります。スポーツに限らず、協調性や調和というのは大切です。

私の周囲には、これらを乱す者が複数いて、まるで小学生時代の私を繰り返させるように、たくさんの漬物石を背負わせてきます。ひとりは、人間関係のフォローを望み、子供の頃を思い起こさせる。他は、そこからさらに友人として最大限にその立場を利用し、「紹介」や「事情通」と称した接続で、人間関係を吸い尽くす勢いを見せたりもしました。

当時はお互いに無自覚だったのか、相手は知っていたのか謎ですが、大学まで継続された「謎」には、人間関係も含まれます。

今は、結局「うちら」という中身不明な複数形でひとりから拒絶の拒を表明され、私からも怒りの音信不通を選択することができましたが、その背景には学生時代からの根本的な悩みがあり、なぜかその解決に使われたのが私の人生や関わっていなかった時期のことという感覚が何らかの「道具」とか、身代わりの人形に思えてなりません。

少し前に「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の由来などを調べていて知った、バランス理論という心理学のお話がわかりやすいのかなと思います。数学的に見た場合の心の説明でした。欠点補うのに、他人の人生でけなせるところを見つけてきて「あーよかった」しちゃうってどう(´°д°`)

 

私には、学生時代から20歳に至るまでが本当に謎だらけで、記憶がなかった部分というのは、自分が大切にしていた証がどうしようもない涙であり、思い出せることに幸せを感じることでしか怨みを浄化できないと思っています。

私とは真逆の「どうでもいい」という答えが、それをやる標的にした理由なのか該当する数人の同級生に聞いてみたいですが、他にも変なことはあるので、たまにもやもやもやもやしていますが、しっかり寝て、ぷにぷにやメビウスFFに癒されながらモヤを忘れています。

 

擦り付けると、私がまるで猛者になってしまい、そんな凶悪な人間なら暴露はできないだろうと考えます。

「それを知らない者」はたくさんいますから、歩は豊富です。おもしろい方や演技をする者を信じる傾向にある者は、おはじきですね。トランプでも、笑いながら見えてる状態でジョーカーを引くって怖いですよ。いろんなゲームと呼ばれるものを置き換えたらね。

 

すべて、私を何らかの理由で弱者として見ていたり、またはやっていい正当な理由を得たから、意味のわからない奇妙な物語を踊りながら演じるのでしょう。人によっては、それは人狼ゲームのしくみに重なるのかもしれません。少し調べただけで似てるなと思いました。

 

何を信じて、何を目的に行動にうつすのか。

明確にされないのなら、まして整合もとれるはずもないなら、「関係ない人」なのにやるっていう様子は、契約を交わした通り魔として、人生の舞台に立つんだなと思います。

私には、それは古代や古い時代の演劇を模した、分厚い台本があるように思えてきます。

 

何かをやるのに、特に理由も明かされないというのは、永遠に謎になってしまいますが、あの人らにとっては私はとんでもねぇ罪人扱いですから、勝手に自身のものさしで何かをはかる頭を早く冷やしきっていただきたいなと思っています。そのものさしは、指をさす形をしているかもしれない。そこに、何かの理由は必須ですよね。

 

とっくに、人生の半分ほどが氷河期に。

過去の世界は、氷のように冷たいと思ったことがあります。

他人の人生を、どこまで自分の人生として扱ったり、またその欠片を加えてしまうのか。大切にするのは、どんなときも自分だと心に言い聞かせながらのブログになってきました。失うことを怖がると、過ぎていく時間が辛いものになる。だんだん、ファイル名がついてきたのか。自分が夢として見てきたものや日々考えてきた物事が、少しずつ整理されてきているように思います。

何かを決める時のものさしは、いつも自分のもので決めたい。他人から見たら、私は負けたように見えても「無料プランのブログ」であることはそういうことだと考えて書いているので、今のネットの恐怖に負けたとしても当たり前だと考えます。

 

私は、もう必要以上に頑張ることをやめました。そこにも、先にも別に何もないからです(笑)何も理由がなく、理由がないので原因もなく結果にも導くものがない。それが好きで続けたり趣味などと言われるもので、誰かのためって時に重たいものを背負うことになるのかなと考えたことがありました。

 

自分の症状との闘いがまだまだ残っていますし、心が疲れて寝てるような状態でも「がんばれ!」と言われるのは嫌なので、たぶん応援してる人が寝っ転がってるから、私は立っていても寝てるように見えるのかなと思います。見方次第で、そう見えてしまうトリックもありますよね。そういう時、わずかでもどこか不自然さはあると思います。

 

私は、自分のために頑張れることを他人の判断に頼ることなく、自分で決めてここまでよく頑張った!としたいし、これからの頑張りどころも見極めようと思いました。なんとなく、そんなに何度も本気で何かに挑むようなダッシュはできないなと感じます。残りの回数に制限があるなら、やたら使わないですよね。そこが違う人は、「守りたい時にもう使えなかった」とか、人に生まれたことの辛さとしてあるのは、過去に守ったことがある人からの逆恨みで、守りたくても守れない状況を想像することがないほど、作品や人生から得られるものに大きな違いがあるんだろうと、幸せの差を感じられます。理不尽や不条理と言われるものを知る機会は、苦労と言われても、なるべく早めにある方が大人になった時に耐える力となるのかもしれません。

そんな悲しみを秘める全力を、半永久的に常に使える理由が(アイテムなんだからまた取れば良くない?)と思ったりするのは、「人形」と表現する理由と同じです。

人を応援する時、「自分の分まで幸せになってください!」と言ってる感覚ならすごいですが、それは違うんだろうなと思い、誰かを応援する時に自らの幸せを消費していると考えても、応援するのはすごいことです。それは嫌なんでしょ?と言われれば、黙ってしまうような人や素直に応援もできないなんて〜と学級委員してしまう人もいて、よぉし!キミが今日からアンパンマンだ!と言ってあげたくなります。

幸せは基本的には見えないし、人の幸せなんて願うだけのものですから。「自分が幸せにならなかったら、どこかのあなたが頑張ってないせい…」とかどう?その言葉から生まれる複数の答えが、私が笑顔で拍手する流れです ( °∀° )/ 

 

もう、自分のためになることを探して生きますという言葉に寂しさを感じるのは、バルスと似ている(•᎑•)

 

他人が私に何をしてくれたか。

それは現実ほどわかりやすく、ありがたいお気持ちです。それ以上は、次第にこれ以上と言われるものになっていくでしょう。

 

ある日、私がルフィのように「ごめん。ここで死ぬ」と夢の世界で伝えても、巻き込まれる予定?の方々は怒るどころか「いいよ!」と安心させてくれる言葉をたくさんくれました。それが誰かわからなくても、今再び文句ばかりがよく響く頭になっていることは、あれの方が文句すごそうなのに…と思い、「人々の本当の声」って雲にでも隠されてしまうのかなと考えます。

 

(๑・㉨・๑)北風と太陽みたいクマー。

ʕ•ᴥ•ʔ長く続いた暗闇に、朝日が昇った夢も印象的です。

 

私は、これを読む誰かの心が星空や月に癒されるようお祈りすることを目的としています。

誰かを応援したら、同じ言葉を自身にも言うのは心に良い

 

年末まで頑張るゆずや嵐に、よくある休めないジョブをやっていた時は「がんばろう!」と思えたなぁと、ふりかえる。٩( 'ω' )و 

一緒に何かを頑張れることに、一番安心できるようになったのかもしれない(笑)何を頑張っていてもいいというのは、良識の範囲ならとても安心感を生む言葉です。

他人と何かを比べるって、一時自分を苦しめるためにしかならなかったなぁと、今日の自分のセルフ卒検を思います。

芸能人さんには、心から今年も1年お疲れ様ですと思うのに、いつからかその後のワイハとかお休みが心底無言で、今ならSNSでいつもいいね!するのに、見ても押さない感じを味わいます(笑)そのリフレッシュができない理由が、「アチシはそこまで人生を頑張ってないw」という塵も積もった答えです。

 

自分を幸せにするのは、自分の努力から

 

(๑・㉨・๑)クマゴロウのこの手が霧色に染まるぅ!ヤツを鮭とかわいく誘う!陽気なレインボーパレードォオオ☆。.:*・゜

ʕ•ᴥ•ʔドンドンパフパフ〜

ʚ( °(エ)° )ɞドンシャララン♪

 

クマゴロウ達は、クリスマスの飾りつけに紫色のどこかで見たような飾りを見て、思い出せず。その談笑は、夜まで賑やかであったといいます。

 

(´・∀・`)えんとつ覗いて落っこちない 落っこちないでそれできない 覗いてないけど落っこちた。ダイアにゴン横丁!

 

チーズ先生のクリスマスは、いざ!ファンタジー

 

ʚ(  °(エ)° )ノ .+*:゚+。.☆

 

2018年12月26日