White Rainbow

ある日、霧の中で幻のクマと1匹の野良猫が出会った。

「無理しないでね?」と言える人とさせる人の存在感

ฅ•ω•ฅ色即是空の平成最後の殿!冬将軍☆大名行列に凍えるブログ。

 

最近、Pocketにはてブから乗り換えようかなと思ってアプリを入れたり消したりしています。Pocketもなんだか私の求めている資料庫ではないなぁと思って、この双眼鏡インターネットにため息をつきます。張り込みは貼りこみ(埋め込み)として体感できてるんですけど、植え込みの中にただ立ってる感はウッドスタンドだなぁと思って…なんか違うと思います。この感覚は、もーしも運命のタンバリンだけを持って〜ゆずさんのアレンジメンバーとして、ある日採用されても、いたたまれない上にゆずのふたりにも絶句される流れで、画力棒人間でディズニー就職を思い、場違いは段違い平行棒で一般に小学生が学校でやるような逆上がりを披露する気分だろうと思いました。

 

今回は「ガチで泣く一歩手前~G1グランプリ~」

 

ブログの中吊り効果

ゆずさんに関する記事です。


「音楽で何ができるだろう」――ゆずと西日本豪雨、決断と行動 - Yahoo!ニュース

 

「歌で何ができるのか?どこまで支援が可能なのか。」

アーティストとして、もう20年を迎えてこの課題に挑むゆずさん。他にもそういったことと向き合う芸能人さんはいると思います。現地で、身も心も大きなダメージを受けているような別世界とも言われる場所で、歌を求める人はいるのか。

ゆずさんが悩んだものは、私が自身に対して考えたものと似ていました。

私はそのときの不調もあり、今は自分のことに集中して心と向き合うときで、他のことに関してはまだ何もわからない人間だとしました。それでも、いつか人に伝えるために何かを書けたらと思って、紙のノートにそのときの言葉は残しました。

被災した方々や何かの被害にあわれた方を自分の身に置き換える運動を8年前からしてきて、この時そういう風に考えられる「心を鍛えるやり方」にシフトできたことは、何よりも自分によかったんだと思います。

 

わからないとしたものの中身は、悲しみや痛みを自分に置き換えることで、今は説明できるようになりました。この場合の置き換えるとは、体験したのが自分だったらという話ではありません。私の語り尽くせない「謎」と事実に基づいた悲しみが既に自分にあったことで、そこに重ねたということです。何にも言われたくないというのが始まりで、そこからスタートしていくのは伝えたい言葉なので、宣伝などという意味ではない、自分自身をブログ用語で埋め込み状態にしたものになることが責任としているものです。中島みゆきさんの♪瞬きもせずは、それがわかりやすく歌われていると思っています。とても好きな歌です。

 

発信をしたとき、ひとつひとつの言葉やキーワードが何を意味するのか。ブログやツイートとは、時に全体を通しても謎解きのようにひとつの大きな意味を持たされるものです。

そこまで、私は考えていく必要があると「幸せとクソ」の中身を答えとしています。

 

何かの被害者としてのきもち

被害にあったことをマイナスと見るのは、なぜか。

手っ取り早く、さらにマイナスを探してぶつけるよりは、プラスが勝てばいいと考えてがんばっているものがありますが、あまり表せていないことに憎しみさえ生まれ始めました。

 

「一般人がそれを言っても何も意味がない」

 

芸能人だからこそという強調表現を、度々ネットを通りがかって見かけてきました。同じ言葉を芸能人が言うといいけど、一般人が言っても(せせら)笑える。

それは、ずいぶん私の感じているSNSと違うな…と思いました。

この10年で、匿名性に癒しや魔法に似た効果を見つけられた方は、誰の言葉であろうと響いたものはありがたいものだったと語られていました。例をあげると、「前向きで 駐車場の言葉にも 励まされ」というものです。看板ですよ。しかも、そのへんでよく見るヤツ。精神的な意味ではないにも関わらず、生き方にハマってしまうことだってあるんですね。

その逆をいまだに行くというのは、「芸能人大好き」なんだなと思えます。大好きすぎて、一般人をなぜか見下す楽しみ。いても特に意味ないくらいに思ってしまう(自分の世界には)。別にそれでいいのも、また現実世界の一般人で、「…冷たい」とされてしまいやすいものですね。これは、多くはアイドル的な存在から生まれる心理であり、それさえもデュナミスには石像として存在し、ジョブ的に私のターゲットだったことを思い出します。アイドルという言葉の意味は、深い

 

どんなことでも、思うことは段階としてなら勝手である。けれど、文の最後に「思う」とつけても、発信したらそれは発言と同等になる。それは、思う=言ったからであり、言葉の意味やネットなどの向き合い方によく表れる。思うという会話は思ってることを言うという認識であり、コミュニケーションでも使われるけれど、あまりそこを意識していない。「そう思ってるんだ」ということを相手に「伝える」ことの方に目を向けられるからである。ネットでは、見知らぬ人と心で会話をしているわけではないと考えます。

そこに、「ネットとの関わり方」を見れますね。

 

自由ではあるものの何かの柵などを乗り越えて、人を不快にしたり、自身の「芸能人と一般人」という謎の構図による合戦は、最後まで勝手を押し通す流れにしかならない。勝手に始まったら、起承転結全部勝手なものになる。賽は投げられたとは、「勝手」にも言えることなのでしょう。

誰しも、推しという言い方で応援している対象を馬に見立てて、馬券というファンの証を握りしめているようなものでしょうか。買って嬉しい!バラ蒔いて悔しい!そんな感じだもんね?

 

(๑・㉨・๑)別にどう思うのも基本的には許容という意味ではいいんだけど、時には不快にさせてることもいつかわかった方がいいクマ…。

ʕ•ᴥ•ʔそれはなるべく早い方がいいし、ネットには特にいろんな人がいるのだから、言われたり、反省するタイミングにも言えるのは最後まで勝手な謝罪で、たとえそう言われても私はする方がいいと思ってます。

 

自分で気づくということを心掛けて、大切なことを日々難しさと共に考えていくことを心の喜びとしています。

何よりも、自分で自分のためにできることなのだと思えるからです。頭が痛かったり、心が鬱を持った闇支配でも、人としてどう見られていくのかを思えば、良いことしかないとしています。だから、見えない山登りを怠り、うるさいだけの者は過去記事では「暗闇の状態異常を治してもらえない前衛」と重ねました。しかも、仲間という意味でのメンバーではないのですから、どんどんおいていきますよね。

自分でどこまでやれるのかをやらないで、オレラニオシエロ!と言うのは、どうなんだろう…?といつも疑問に思っています。流れを見た時に、(一般人は…何だっけ?)と思いますし、教えてくれないって言う時には(そこは芸能人じゃないんだ…?)と思います(笑)

私はそこに、学校における人間関係を思い浮かべます。

そう考えたら、その人が何してくれるよって遠巻きに冷めた目を持った一般人がいるのも目が覚める感覚があると思います。それに気がついてふと好きだった芸能人を見たら、本音が聞こえてきた…なんてことも、人によっては経験するんですね。有名な写真つき暴露本シリーズ金曜日とかあるし、アイドルほどドンシャラランが好きでうまい人はいないのだろうと思います。

 

(๑・㉨・๑)長年、後悔していないのはただ1人!ヒドゥンファンをやらせていただいてますマツズンは、ある日暴れん坊のサンタクロースと言いました。

ʕ•ᴥ•ʔいい感じでドンガラガッシャン☆しそうで、クマフフ草が伸びますね‪w

ʚ( °(エ)° )ɞ彼は天使と呼ばれ、許されてしまいます。私はしょせん、みんゴル天使止まりです。

 

(´・∀・`)先生もアレを手に入れて、大チーズ王になるぅ!

 

※ゆずさんからアイドルまで、私が好きなものやその理由を含めてのものにしていますので、同一視したものではないです。話の派生からそう解釈もできますが、書き手としての目的は違いますと書いておきます。

 

花咲かじいさん的な出来事

あの日、あるアーティストさんが「僕らには歌うことしかできない」と宣言してから選んだ道は、ネプリーグ的に見たら不正解とされた…。その言葉と歌だけを見れば、当時の私は特に気分が悪くなるものではなく、それにみんながどう反応を寄せるかの方を見ようと思い、私自身それに腹が立ったわけではなかったとふりかえります。ここぞとばかりにという感じは受けていたようにも思いますが、のちにあった件の方に性格的なものを感じて怒りとして記憶されました。

少しして、反応があり賛同や感謝かな…?と予想して見ていたら、真逆に近いものだったことでビックリしました。今は、そういうところもとても難しいんだと知り、私がブログなどを通して発信する内容を、もっとよく考えていかなければならないと肝に銘じました。

私には、その行動は当たり前にある流れのひとつで、慣れてしまっていたのかもしれないと、日本のあり方にいい意味での疑問を抱き、「商業利用」という解釈や個人的なものでは「チャリティー」に疑問を持ち、独自に考えたことがあります。

私がそのことから考えていたものを今、言葉にすると「そのやり方」が怒られた理由は、何もできないと言っているようなものなのに、できることが芸能人にしては安易なものに感じたのかもしれません。「しか」とするには、いろいろ違ったり足りなかったんだと思いますし、他にもあるのではないかと思うのも安易の中身でしょう。そのへんは、約束されたビーチフラッグを取るように、大注目をあとになって感じた日もありました。今は、それがわかりやすいと感じられる人が増えており、続いてSNSなどがありますので「怒られた」感じがわかりやすかったですね。

 

おそらく、出来事には人それぞれに判断力を表す信号があるのかなと思っています。この信号は、ファンタジーにおける「心のシグナル」を知っているので、大切なものです。

 

◆心のシグナルとは…

FF11には、操作できないキャラクターのひとり、仲間扱いのフェローと呼ばれるものがあります。取得には流行りがあり、ゲームの中で仲間と長蛇の列に並びました(笑)あれもまた思い出で、ヴァナ名物だったと言われています。

オファーリストの依頼主と、クエストオファーのトリガーとなっているNPCは別人なので要注意。

 

引用元

心のシグナル/FF11用語辞典

この項目のすごいところは、フェローシップエスト一覧もですが、そのクエストの中身です。クエストの説明文は「知り合いの様子がおかしい。」で始まっており、私は引用部分にそれを含めた3つの候補から、悩んで選びました。残りは、クリアすると称号「助け合う者」を得られるという部分です。さらに、引用元ページにある「自家製〜」の流れからも思い浮かべたものはあり、私のキャラは確かアレだったから…もらった記憶がございませんが、たぶんこれをもらったんだなと懐かしくなりました。

 

自家製に作品や歌を重ねてしまえば、フェローとは現実世界に生きるファンから見れば、応援するほど好きと公言する、アーティストなのかもしれません。

 

◆フェローってどんな存在?

非常に頭が痛くなる思考ルーチンを有しており、あまりのAIの思考能力のへっぽこぶり

 

引用元

フェロー/FF11用語辞典

ざっくり説明すると、ちょっと無言になっちゃうご紹介の仕方になってしまうような説明を添えて。この続きには、ドラクエ4で無駄に、効果のない魔法を唱え続ける挙動を持つキャラがあだ名として語られています。おそらく、一般人とはこのキャラを模しているとする見方もあるのでしょう…。(´°д°`)?

私は、パルプンテのみを唱えましょう!

 

フェローとは、実際に共に戦ってみなければ、その存在に感謝と涙が滲む思い出は語れず。私がやっていた時の語りぐさは、「ブレスドレイディアンス」と言われる秘奥義を見ることにありました。それは、発動に条件があり戦闘において、だいぶピンチであることが語られます。私も、自分で見れたのは低いレベル帯でソロをやっていた時の1回くらいで、代わりによく見たなと思っているのは普段話しかけることで流れるセリフです。

この秘奥義により、救われるプレイヤーはフェローに信頼を築き上げられる感じが得られて、信頼の一夜城を可能にする技でしょう(笑)

 

フェローとは暇を持て余したとき共に戦い、レベルさえも一緒に上げてきたはずなのに、後半のクエストではケンカでもしたのかと思う流れを開発スタッフによって、作られてしまいます。後衛をメインにしていると、そういうソロでの戦いでは圧倒的に不利になってしまい、勝てる気がしないよ〜マート思い出すよ〜とウダウダして、すぐにはやる気にならなかったなと思います。

 

まとめる

この記事で言いたかったことが物議を醸し出すのは嫌なので、ゆずさんの記事は記事として切り離された内容です。その記事に書かれていることが「ゆず」であり、私の戯れ言は、なぜゆずと自主規制さんは評価がわかれたのか?ということを思いながら書きました。けれど、それまで特にファンじゃないというのは、何かをきっかけとしてリトマス紙のように変わることがあって、そこに思い出として良いものを乗せていく存在になるのかもしれません。それが、ある日ご本人さんたちに言葉として届けられたりするもので、逆にアーティストさん達からすればサンタクロースなんだよという解釈を持っています。

何かを願って書いた時、アーティストさんが書き手の意図として歌詞やメロディに何を思い描いたのか。そして、それを聞いた人で歌という形をとったものを、特に書かれていない宛先として受け取ったときに、ゆずが届けたかったものが伝わったのかが、すべてなのかなと思います。

すべての人に伝わらなくても、心へ届けるものというのは心を込めた分だけ不安にもなるものです。逆に気分を害されたとされれば、まだまだ配慮などが足らなかったんだとなるのですから、ファンでも外部にいる者として一番安堵するのは伝わった感じですよね。そこに無理や遠慮とか、気遣いなどを求めるはずもないものですから、それが怒りの拡散と真逆に位置する、未来に夢見る「言葉にできない」感情の共有ということになるのかなと思います。ふつうに考えることができなくなるほどに、日々いろんなことがありますし、特にこのブログには「私」がありますから、他人の言葉だらけなブログそのものが今は読まれにくくなっていることを体感していますので、それが合わないとか入ってこないものだと思います。私は、それを拒絶したいのではなく、むしろ当たり前としていますのでブログというものがこれからどう変化していくのか、意識改革とするものを同時に自分を素材にしながら考えています。

 

パーソナルスペースのように円を描いたら、心の距離として遠く外に位置する言葉は…基本的には良いものではないんでしょうね。そういう見方をした時のファンって、すごくビビットカラーなんだろうなと思います。響くっていうことが、共有なんだろうと思えますね。イメージする色も。

 

まれに、一般人が書いた歌と同等の感想をもらうことになるってしんどそう(´•ω•`)

あんまり、今はそこの境い目がSNSのデメリットとして、本来あるべきオーラを常に感じてないので、…やっぱりふしぎな魔法を受けますよね。

整理してみても、これは書き足りないものなので、この記事が私の考えのすべてではありません(´·_·`)

 

5W1Hの考え方は、いろんなことにハマるやうで楽しいです。

私は、「いつ」を大切にしています。

 

 

2018年12月29日。