White Rainbow

ある日、霧の中で幻のクマと1匹の野良猫が出会った。

木のツララと氷柱ばかりを掴む人

ฅ•ω•ฅ色即是空で心を描くチャレンジブログ!

 

実は、心を描くのはブログよりは作品の方が何らかの形をとることができます。ブログは、今は位置付けがなぜか変わってきてしまっているようで、ひとりひとりの認識が「ブログ」であり、本来の始まりや意味までを理解している人となると、その割合はガクッと減るのかなと思います。

 

今回は「それぞれの認識とは…」です。

私の書くブログは、メンタルや心の年齢を大切にしております。目指すは、もう悩み無用!きっとあなたのハート生えてくるゥ!?不用心!御用心?左様点転々テンテン。

リラックスできない方は、クマたんずでラリックマしてしまいがちですので、お戻りください。

最近は、ターゲット層を絞ることをあらかじめ書くかたも見かけます。私もやってみようと思いました。

 

定義は人それぞれでいいのか。

何かの定義なのに人それぞれに「概念」や「概要」を表すというのは、わかりやすすぎて動し揺!の理論でいえば、理数系の公式にあたる、解き方や法則が人それぞれ!ということです。

理解が人それぞれなのではありません

教科書が、先生による教え方が、みんなバラバラなのに答えは「ブログ」という言葉の解釈の例です。

私は、「1+1=2」を言葉や心を考えていくことにも適用して、原因と結果と罪などとはめていくことで考えることは理解の始まりであると思っています。ずっとそうだったわけではありません。気がついたら、このとてもシンプルな公式をもとに何かを考えていくようになりました。けれど、すべてに適用はしません。なぜなら、数学にはたくさんの公式があり、理科の分野の方が今からまた学び直したいジャンルだからです。

公式=オフィシャルサイトだと思って読んでしまう、喜怒哀楽の楽に設置した「お帰りください」と言われるかたは…いないって言えないんです。

 

私は、これは言葉がどうもひとつしか意味がないような捉え方をしており、言葉の着回しができてない人を発見しました。リアルな発見ではなく、どうも変だ…何が足りないのか…と考えていたら、私の表現では「言葉がひとつしか意味を持たされていない状態で、マネキンの服装をマネて一式購入したら、ずっとそのまんまの組み合わせで着る(しかない服も買い方によってはある)ような言葉の扱い方」だと思考のルービックキューブをした感じ。

お洒落は、漢字から見ても全くの別モノを表すこともありますし、日本語が楽しい理由のひとつなのですが、それが嫌になる理由にもなってしまい、なんか言えばいいかぐらいに中身のなさを求めることもありますπ。円周率って、コミュニケーションの答えに似ていますね。

私は、リアルなルービックキューブは無理ですが、思考の巡らせ方はたとえたらルービックキューブかなと思います。

 

誰かが、ひとり3回までなどと手数を決めてルービックキューブを変えていって、それを行ったのが博物館に訪れる人並に多く、管理もされていない展示物だったのなら、どこかで何かが起きるかもしれないし、元に戻るのは爆発を兼ねるのなら世界がおかしくなるのも、人ひとりの人生や思考回路が壊されるのも当たり前かと思えました。

 

ガスライティングって、カタカナすぎてわかりにくさがありますが、世にも奇妙な物語だと言えば日本人にはあの曲が恐怖を感じさせてくれるのでしょう。ライティングがねー、書く方として認識しがちですかね。

灯りをつける意味だったように思います。

誰かがそれをつけたり消したりする感じ。これをやる相手が何人いるかもわからないのです。ひとりが複数の灯りを消したりつけることも考えられますが、犯人はひとりで労力も半端なくなります。では、逆だと難しいと予想されるのは、「今、何回やった?」

そもそも、電気をつけたり消したりするのはどういう装置なのか?そのしくみによっては、(あれ?)となるのです。

 

ʕ•ᴥ•ʔミミタロウから始まるいぇーい!スイッチON/OFFゲームYeah♪

(๑・㉨・๑)パチ。

ʕ•ᴥ•ʔぱちぱち。

ʚ( °(エ)° )ɞパチパチパチ。

 

(´・∀・`)3.2.1.🎆どーん☆

 

ʕ•ᴥ•ʔパチ。

(๑・㉨・๑)ぱちぱちカチッ。

ʚ( °(エ)° )ɞカチッぱちぱち。

 

(´・∀・`    )バババババターン!☆

 

太鼓の達人風にアレンジしてみました。

ルービックキューブは、元に戻すのは私の中では答えが一致する、戻し方がひとつしかないものなので、逆再生するように解き明かすことをルービックキューブのやり方として理解していて、遊ぶことすら無理です(笑)

 

太鼓の達人ではオニの譜面は、神業ですよね。

鬼と戦う時は、あれほどのワザと用意された譜面のぶつかり合いがあり、曲なんて聞いてられない!バトル曲の心理作用なども知ってしまいますね。私があの譜面をやろうとしたら、鬼の形相を入手し、子供を泣かす気がしてきます。やるより見てる方が曲も聞けるし楽しいと思ってます。

 

ブログは、ウェブログという言葉があることを知っているかがスタート地点。自分にはどんな理解があるのか。何だろう?と思うことは、謎に向き合う姿勢を育てられると思います。何事も、まず自身の答えがなければ説明にも進めません

実は、そこを他人にお任せしちゃう「お鍋の中身はありませんけど、あなたの鍋の具いただきます。」をやる会話術についても考えています。

 

ブログって何ですか?と聞かれて、「え?日記でしょ?」と言って、読まずに食べて💩する行為や読んだけどその分消化不良おこすパターンなど、読んでからが千差万別(世界規模)で、日本国内ではローカル的にも十人十色であります。まず、数字の規模で見てます。

 

自分だけの理解で相手の話を聞かないというのは、楽器の演奏になればとんでもないやり方を想像できます。そもそも英訳がパッと浮かばないのですが、怒る→「いじめ」と解釈する人間がいることは、事柄を厄介にしていくことを過去記事に書きました。しかし、あの記事ひとつとっても心理のテストは可能で「引用してもしなくてもかまいません。書きにくい場合には、引用をしてそれについて書くといいでしょう。」という問題文のようなものを用意されれば、その感想に私がブチ切れる言葉の羅列があることは皆さんの発信や日々の発言から、よくわかる流れを描くのかなと思いました。

背景がわからないのに、登場する人物だけで何を語れるのか。それは舞台をみた感想のようで、人物の理解に勝手な決めつけが含まれることもあるとされます。あまり学生時代には、それが不思議とバレないのですが、今回は「ねつ造」している感覚の喪失も、考えてみたのです。

 

コミュニケーション能力はなぜ育たないのか。書いてあることがすべてなのか、それとも想像で補うことこそすべてなのか?

 

正解は、そのどちらでもないもの

 

自分を理解することから、ネットの鏡や発信がそんな簡単なものではなかったことを物語ります。いつまでも、自由気ままに他人を罵り歩く、群雄闊歩はできないと思っています。正しくは、群雄割拠なのですから。

 

新規参入は、それまで破裂しなかった水風船が突然破裂するようなものでしょう。この表現には、水を打ったようというものがありましたが、静まりかえることを意味し、私のイメージしたものは、逆だったことに驚きます。水を表現に組み込むというのは、俳句で有名なものがあります。松尾芭蕉さんです。

明鏡止水もそうですが、それまでの方が静かで、水は規模を変えれば嵐となるものに思えてきます。嵐の前の静けさは有名です。

この様子と似ている言葉なのか…?と疑問を持ちます。調べてみると、打ち水のことのようで、水をまく→埃などを舞わないようにしている様子を表したものでした(笑)

 

(๑・㉨・๑)シャラーーーーップ!

ʕ•ᴥ•ʔハリーポッターダンブルドア先生の魔法ですね。

(๑・㉨・๑)チーズは、最後が屁だったクマ。

ʚ( °(エ)° )ɞシャラーーーーッぷぅ。

(๑・㉨・๑)いちいちうるさいから、どん!シャラーかもしれないクマ。

ʕ•ᴥ•ʔラン♪がないから終わらない。

(๑・㉨・๑)そこで乱なんて変換しませんよ。ドンジャラがどんしゃら。柄にもないから、まぁ静かなんだかうるさいんだか。

 

うるさいというには、静か。

静かというにはうるさい。

そんな時に、慣用句としての水をまくのかもしれません。

「暑い!」って言ったら余計暑くなるように。それは、漢字が違うようにも思えますが、お怒りを込めたうるさいの代わりに言われます。…ローカルネタかな。

 

まとめる

我が家に、あのおうちでGoogleアシスタントリアリティ?は、兄弟喧嘩のアシストにも参戦しただろうと導入の時期に悔しさがあります。特定の声にだけ反応する設定→最終的に猫の声にだけ反応する仕様になるのかなぁと思って、真の猫リンガルになるといいなと思いました。

なんか、人間いなくなった後の文明の痕跡に動物たちによる人間のような行動は、寂しいから、やっぱり人はハートなんだねと思います。心から笑顔を見せている姿に、動物たちの思いもあるのでしょう。

 

私のミニコバナシ⏬

(๑・㉨・๑)📖『地上絵の贈り物から』

ʕ•ᴥ•ʔ♪世界の車窓から

 

かつて人は、動物たちに育まれ、愛されることを教わり、言葉や知恵を教わって、いま何してんだろうなと思うと情けなくて泣く日もありました。仮説ですけど、自分達よりも下としたものは、なぜ下に見ているのかと思うことから浮かんでしまう悲しみもありますし、何を優先事項としてそれらを見たのかもわかるんですよね。猫が好きだと、野良猫が悲しく見えてしまうのです。古代エジプトでの猫の扱いは、同じだったかと…。泣いてしまう。彼らは、私たちと共に生きる選択をして、あれもこれもいらないから、かつての私たちと同じように命を愛してほしい。

もう、それだけを願っているのではと思うと、途端に泣いてしまい、家の猫に全力の愛情表現をすると、きっと動物的には意味がわからなくてキモイのかもしれない。

それでも、私は全力表現する。

私は、悪意の代物の代わりに「無から涙の泉でも生み出す」のかもしれない。ホトトギスは、双方に気づかぬ(大切な)ものなのかなぁと思う。泣くって、心が怒りに燃えてる時の消火させる唯一のものですよ。

 

絶滅は、生きることをやめたのでしょうね。

共には生きれない。

お互いに最も許されず、また許されざることを何かした者たちなのかもしれませんが、絶滅という道を辿らせたことは命として生きていく方が裁かれてないようで。私たちの末路は、動物たちと同じ扱いなのかもしれません。

 

絶滅動物たちに、何を思いますか?

私は、(…カッコイイ!)も(かわいい…!)も、動物たちに贈りたいと考えました。

 

どうしても悲しくなる光景が想像。

ある日、闘犬が家族と戯れる小型犬を見て「同じ犬なのに…」と思うように、ぼーっと見つめている姿をぼんやりと想像で描いたら、同じような悲しみが犬好きな方には伝わるのかもしれません。

犬は、最も人と歩むことを学ばされた存在?動物たちを私たちに置き換えても、「犬」の比喩は残酷に思えます。人間に、そういった比喩が妙にハマるのは楽しい光景であることもありますけども。

 

話が派生しましたが、下に見えるといえば鼻メガネをかけながら「メガネどこだっけ?あの嘲笑しながら悪意に変換してくれるイッツオートマチックなメガネ。」とやっているのは、答えとして浮かぶ光景があり、私には滑稽でそれを人はいつからかおもしろいなと思って、喜怒哀楽からは飛び出たおもちゃのように「笑うこと」を覚えたのでしょう。

喜びは、赤ちゃんの一番かわいい胸キュンです。

 

人が笑うことを忘れるのは、なぜか。

嘲笑うとは、どういうことか。

 

つまんなく感じたことから、それは始まってしまったのではないだろうかと、本当に大切なものをオートロックされてしまったような心を見ると、自分の人生に泣く人は誰かをいつか本当に笑顔にし、応援することもできるようになると思っています

私は自分のことで精一杯ですが、自分用だったものを公開する人もいますよね。それが、助かることもありますし、センスの共有はいいなと思います

 

ふと、いつものYouTube先生で懐メロを聞いてヒトカラ用に覚えようとしてみる運動をしていたら、泣きたくなるほどの感動を再びおぼえたので、イメージに置いておきます。

検索ワードだけ。

 

幻のクマさんず テーマソング。

ゆずれない願い

 

(๑・㉨・๑)歌詞がダイレクト。いい歌❣

ʕ•ᴥ•ʔサビで華麗にバトルものアニメのオープニングが顔文字とかで再生される。

ʚ( °(エ)° )ɞ未来を夢見てるブログです。

 

 

2019年1月9日。